欲
「欲のマネジメント」〜生身の欲望と上手につきあう
『論語』の「顔淵」篇には、「己の欲せざる所は、人に施すことなかれ」という有名な言葉が出てくる。「自分の望まないことは決して他人に対してしてはならない」という意味だが、人間にとって「何を欲するか」、すなわち「欲」の問題は重要である。
ドラッカーによれば、マーケティングで重要なことは「われわれは何を売りたいか」ではなく、「顧客は何を買いたいか」と問うことだという。ドラッカーは、『マネジメント』(ダイヤモンド社)で次のように述べている。
「目的と使命に取り組むうえで答えるべき究極の問いは、顧客にとっての価値は何かである。これが最も重要な問いである。しかし、最も問うことの少ない問いである。答えはわかっていると思い込んでいるからである。品質が問題だという。だが、この答えはほとんど間違いである。顧客は製品を買っているのではない。買っているのは、欲求の充足であり、彼らにとっての価値である」(上田惇生訳)
たとえば、自動車について考えてみよう。100年の歴史を持ちながら破綻したGMは、ドラッカーがマネジメント理論を打ち立てる上で深く関わった世界最大の自動車メーカーだった。
GMのシンボルとなる車はキャデラックだが、ドラッカーは『現代の経営』(ダイヤモンド社)で次のように述べている。
「キャデラックを買う者は、交通手段を買っているのか、富のシンボルを買っているのか。キャデラックは、シボレーやフォードと競争しているのか、ダイヤモンドやミンクのコートと競争しているのか」(上田惇生訳)
化粧品について考えてみると、レブロンを名だたる巨大企業に育てあげた天才的経営者チャールズ・レブソンは「工場では化粧品を作る。店舗では希望を売る」との名言を残した。女性が化粧品を買うとき、実は希望を欲しているというのである。
消費者が本当に欲しいと思っているものと、企業が売っているものとの間にはズレはないか。
歯ブラシを購入する人が本当に欲しいものは「健康な歯」である。洗剤の購入者が本当に欲しいのは「清潔な衣料」である。ドリルを買う人が欲しいのは「穴」である。CDやDVDを買う人は丸い銀板が欲しいわけではなく、音楽や映像、つまり「楽しい時間」としての娯楽を求めているのである。
意外と企業やその経営者・社員が「自分はこれを売っている」と思い込んでいるものと、実際に顧客が求めているものは違っていることが多い。そのために、ろくに穴が開かないのにデザインだけは費用をかけたドリル、洗浄力が弱いが色はきれいな洗剤のようなピント外れの製品が市場に出されることになるのである。顧客の真の「欲」を見定めるべし!
人間の欲について徹底的に研究した人物こそ、アメリカの心理学者アブラハム・マスローである。人間の欲求は優位性によって順序づけられていると唱えた「マスローの欲求段階説」はあまりにも有名である。
彼によれば、ある欲求が登場するのは、普通その前の欲求、つまりより優勢な欲求が満足したためである。人間はたえまなく欲望する動物なのだ。
彼は、人間には5つの欲求段階が存在すると主張した。
低い次元のものからあげていくと、まず「生理的欲求」がある。血液中の塩や砂糖、たんぱく質の必要量からスタートし、この生理的欲求は食物への需要に高まる。
空腹による欲求が満足させられると、次に「安全への欲求」が現れる。苦痛や恐怖からの自由の欲求である。
次に位置しているのが、「愛の欲求」である。これは「帰属への欲求」を含む。かなりのレベルの安定段階に達した人間、たとえば安定した住居と定収入をもつ場合は、友人への欲求、恋人への欲求、子どもたちへの欲求、集団における自分の位置への欲求などをするどく感じ始める。マスローは、食物にも住居にも恵まれた社会に生じる悩みの主な原因は、この欲求が妨害されることにあると述べている。
愛の欲求が満足させられると登場するのが、「尊敬の欲求」、つまり自分自身に対する高い評価への欲求である。自尊心を満足させる他者の尊敬への欲求だ。
最後に、欲求のヒエラルキーの頂上には、「自己実現の欲求」が位置する。人がなることの可能なすべてになろうとする欲求である。このようにマスロー理論によれば、5つの欲求の段階が存在することになる。生理的欲求、安全への欲求、愛の欲求、尊敬の欲求、そして自己実現の欲求。一つが満足させられると次のレベルに入り、新しい欲求が引き続く。
真のリーダーになるべき人間にとっては、やはり自己実現こそは最大の欲求だろう。
自己実現の欲求とは何か。それは、自分は「こんな人間になりたい」と思うことであり、他人から「何によって憶えられたいか」ということでもある。
ドラッカーは「自己実現」の大切さを強調し、人間は何をもって後世の人々に記憶されたいかを常に自問しなければならないと述べた。ドラッカーが13歳のとき、宗教の先生が生徒一人ひとりに「何によって人に憶えられたいかね」と聞いたそうだ。誰も答えられなかったが、先生は笑いながら「いま答えられるとは思わない。でも、50歳になって答えられないと問題だよ。人生を無駄に過ごしたことになるからね」と言ったという。金言である。