平成心学塾 経営篇 人は、かならず「心」で動く #126

「達のマネジメント」~上達して君子に至れば、信を得る

 

リーダーとか指導者といった存在は、結局のところ「君子」を目指さなければならない。君子になるにはどうすべきだろうか。
まず、君子などというと、過ちのない完璧な人間のように思われるが、すべての人間は過ちをおかす。問題は過ちをおかした後の処置である。『論語』に「小人の過ちや必ず文(かざ)る」で、小人のように過ちをうまく取りつくろってはならない。「人焉んぞ痩さんや」で、どうせわかることなのである。では、過ちとは何か。「子曰く、過ちて改めざる、これを過ちという」わけである。過失や失敗は許されるが、それを改めないで繰り返すことは許されず、それこそが真の過ちなのである。
人はこういう身近のこと、すなわち「下学」から「上達」していかなければならない。それが孔子の考えた礼楽社会における個人のあり方であった。そして、「子曰く、君子は上達す、小人は下達す」とあるように、上達しうる者こそが君子なのである。
君子の最大のモデルといえば、これはもう孔子本人をおいて他にないが、その最大の理由は彼が「温・良・恭・倹・譲」だったからである。孔子はこの五つを持っていたから、他人から信頼され、さまざまなことを要請された。この状態に達するのが「下学」からの「上達」である。
「温」とは、温和である。孔子はまことに春風駘蕩といった風格の、少しもトゲトゲしさがない人であった。「良」とは、素直で、筋が通って性質がよいことである。「恭」とは、慇懃、丁寧、うやうやしさであり、慎み深くて決して粗暴な言動がないことである。「倹」とは、きりっと引き締まって節度があることをいい、同時に、倹約の意味もある。そして、「譲」とは、謙虚、控えめ、へりくだって人と争わないことである。
この「温・良・恭・倹・譲」のほぼ逆に当たるのが「克・伐・怨・欲」で、他人に勝つこと、自分の功を誇ること、人を怨むこと、欲張ることである。君子がこの四つを克服しなければならないのは言うまでもない。
もちろん、絶えず向上を求めて自らの能力を涵養することが必要である。孔子はある意味では能力主義者であった。そして「子曰く、躬(み)自ら厚くして、薄く人を責むれば、則ち怨(うらみ)に遠ざかる」何かが起こった場合、まず自分の責任を深く反省し、たとえ他人を責めることがあっても薄くすれば、怨まれることはない。
簡単に言えば、以上のような人が上達した人である。孔子は、意志さえあれば誰にでも上達できるのであり、できないのは、その本人に上達する意志がないのだとした。
上達して君子に至れば、他人からの「信」を得ることができる。「温・良・恭・倹・譲」の孔子は、すべての人から信頼された。信頼されたがゆえに人々は彼を迎え、その意見を聞いた。孔子は人々に求められたのである。『言志四録』を書いた幕末の儒者・佐藤一斎は、これを「不求の求」と評している。いわば「求めなくても求めたことになっている」のであり、人望の極致と言えるだろう。
いずれの社会であれ、どのような体制であれ、信用というものがなければ人間はその社会において、何事もなしえないのである。
そして、信用とは全人格的なものである。「曾子曰く、以て六尺(りくせき)の孤を託すべく、以て百里の命を寄すべく、大節に臨みて奪うべからざるや、君子人か、君子人なり」曾子が言った。孤児を託すことのできる者、百里四方ぐらいの一国の運命を任せうる人、危急存亡のときに心を動かさず節を失わない人、そういう人が君子人であろうか、君子人である。
有名な「託孤寄命章」と呼ばれる一章だ。
確かに、幼い子どもを誰かに託して世を去っていかねばならないとき、これを託すことができるのは最も信頼できる人物だというのは事実である。ということは、自分はそのとき誰を選ぶだろうと考えてみれば、真に信頼できる人が誰かがわかる。そして事業も託すことができ、危急存亡のときも心を動かさない人がいたら、それは確かに君子だと言える。
この人は、自分が一人子を置いてこの世を去っていくとき、その子を託せる人であろうか。常にこれを念頭に置けば、いずれの社会であれ、人に裏切られることはない。そして、このような「信」があってはじめて、上司は部下の苦言に耳を傾け、部下は上司のために一心に働く。つまり、信がなければ、人は動かないのである。
「子夏曰く、君子は信ぜられて而る後に其の民を労す。未だ信ぜられざれば、則ち以て己を厲ますとなすなり。信ぜれて而る後に諌む、未だ信ぜられざれば、則ち以て己を謗るとなすなり」子夏が言った。君子は官吏に就職したら、十分に信頼を得たのち人民を使うものだ。そうでないと人民は自分を苦しめ悩ますものと思うだけだ。君主に対しても十分に信頼を得た後に諌めるものだ。信用がない間だと、悪口と思われてしまう」
これは現代にもそのまま通用する。いずれの時代であれ、信頼していない人間に心服する者はいないし、その苦言や忠告に耳を貸す者もいない。逆に言うと、信頼を得て、はじめて物事は自分の思うように運ぶのである。
このように、『論語』には古今東西に通用する原理が述べられている。人類最高の「人望学」の教科書であり、これを読めば、人を動かす「達人」になれる。