職
「職のマネジメント」~プライドを持って自分の職務に励む
ベルーフ(Beruf)という言葉がある。
キリスト教の宗教改革で知られるマルティン・ルターおよびルター聖書の校訂者たちが用いた言葉で、神から与えられた「使命」という意味がある。ここからプロテスタントのあいだには、自分が従事する世俗的な職務を、神に与えられた「天職」として意識する生活態度が生まれた。
この天職理念は、神の絶対的権威を極限まで強調し、「神にのみ栄光を」と唱えるカルヴァンによって、いっそう強められてゆく。職業労働によってのみ、悪魔の誘惑は退けられ、自分は救いに選ばれているとの確信が与えられるというのだ。こうして、ルターが説いたような、自分の罪を悔い改めてひたすら神を信仰する謙虚な罪人つまり義人のかわりに、鋼鉄のような信念を堅持するピューリタン商人、自己確信にみちみちた数々の「聖徒」が、経済の世界にも続々と生まれ育って、資本主義の英雄時代が到来する。マックス・ヴェーバーの名著『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』には、このあたりの流れが生き生きと描かれている。
ヴェーバーが近代資本主義の推進力としたプロテスタンティズムの職業倫理と、ほぼ同じ考えの人物が日本にいた。安土桃山時代中期の禅僧・鈴木正三である。彼の主著『萬民徳用』には、「何の事業も皆仏行なり」という思想で、出家や厳しい修行をしなくとも身分の上下別なくそれぞれの日々の仕事に精励することこそ仏の道であると述べられている。また、商売には物を売り買いし流通させる貴重な役割があるといい、商人の第一の心得はまずは利益をあげることであるという。さらに、商売とはその時々の相手ではなく、天に象徴されるように社会に向かって行なうものであり、正直と利他の精神は商売に限らず人間関係の原則だと説いた。
正三没後30年ほど経って、石門心学を開いた石田梅岩が生まれた。正三は仏行という観点から商人の意義を認めたが、梅岩は自らの体験を踏まえ、さらに積極的に「商人の売買するは天下の相(たすけ)なり::その余りあるものを以て、その不足(たらざる)ものに易(かえ)て、互いに通用するを以て本とする」と商人の職分を讃えた。そして、「商人には崇高な職責があり、商人の道がある。だからこそ、家業に精を出し、正直でなければならないし、不正な利益は許されない」という論旨で職業倫理を唱えている。
日本にも、大いなる天職思想があったのだ。
私たちは、強い誇りを持って自分の職務に励まなければならない。