現
「現のマネジメント」〜現場を重視すれば現実がよく見える
蒲生氏郷に、こんなエピソードがある。彼を訪ねてきた佐久間という武将が、部屋に入ったとたん、畳の縁につまずいてひっくりかえった。氏郷の脇にいた小姓たちは膝を突きあって忍び笑いをした。佐久間が去ると、氏郷は「皆、ちょっと来い」と言って、小姓たちを呼び、「お前たちは、さっき佐久間殿が滑って転んだのを笑ったな。心得ちがいも甚だしい。彼は長年戦野で生きてきたので、畳など苦手なのだ。現場の経験もないくせに、軽々しく笑うな」と怒ったという。
管理部門、特にトップの側近たちは、生産現場の実情に疎い。のみならず、現場の人間を見下すような人間さえ出てくる。氏郷は、そのへんを厳しく戒めたのだ。
現場を見ることは現実を見ることである。幕末、ペリー艦隊が浦賀に来航したとき、佐久間象山や吉田松陰はすぐさま現地に赴き、黒船をその目で見ている。また、この時期の江戸で黒船騒動を体験した者に桂小五郎や坂本龍馬がいるし、さらに半年後には高杉晋作も江戸に足を踏み入れた。彼らが直接、現場でこの騒ぎを体験した意味は大きい。それぞれ未曾有の国難を目の当たりにして「何とかしなければ!」と強烈に思い、火中の栗を拾うかのごとく、幕末の動乱に身を投じたのである。黒船の現物をその目で見た者と、見ていない者との差は大違いだったのである。
現場といえば、日露戦争の旅順攻略も思い浮かぶ。旅順でなぜあれだけ大量の日本兵が死んだかというと、参謀たちが現場、つまり戦争の最前線を見ずに、机上の空論で戦ったからに他ならない。いつになっても日本兵が死ぬだけであって、まったく落ちない。それで児玉参謀総長がわざわざ行って指揮したら、たちまち落ちたのである。それは児玉が戦線の前線に出て、兵隊が攻撃をするけれども後が続かないという光景を見て作戦を立てるのである。当時の第三軍の参謀たちは、そんな状況が見えないところでばかり作戦を立てていたのだ。
児玉は明治維新の戦いを経験しているが、維新の戦いでは、皆が現場で血と汗を流しながら作戦を立ててきた。その経験がその後の日本軍からほとんど消え、作戦を立てる人間と現場とが全く関係がなくなった。ノモンハンなども、現場を見れば軍隊が全滅するのが必至であることは誰でもわかったはずだ。
トヨタをはじめ、経営陣が常に現場と密接に結びついている組織は強い。抽象的な言葉のゲームではないのだから、現場を見なければ、現実の世界では戦えないのである。