戦争をなくすための知恵 冠婚葬祭業は平器産業だ!
●『「かたち」の文化論』の刊行
人間国宝である14代 今泉今右衛門先生との対談本『「かたち」の文化論』が今月いよいよ発売されます。工芸文化と儀礼文化という2つの視点から日本文化の本質を浮き彫りにする内容となっています。
この対談の中で、わたしは「民禮」という言葉を提唱しました。これは、柳宗悦が提唱した民衆的工芸としての「民藝」になぞらえた言葉で、具体的には冠婚葬祭や年中行事などの民衆的儀礼を意味します。
儀礼文化の代表的なものといえば、茶道が第一にあげられます。宗教儀礼の中、仏教を基盤として生まれた儀礼文化でした。具体的には禅宗の茶礼をその出発点としたものであり、それが日本文化の土壌の上で、ゆたかに育成されたものだったのです。茶道からは華道が派生しました。華道の場合も仏前に花を献り、また花を飾ることが、基礎をなしたことは考えられます。
●「礼器」としてのセレモニーホール
華道が誕生する以前に、祭りに花を飾る風習も存在しました。しかし、そうした仏前献花の信仰習俗が、「活け花」として形成される段階に到達するためには、茶の湯の母胎を通ることが必要なのでした。
ちなみに、茶の湯には茶器、生け花には花器があるように、いずれも陶器を「うつわ」として使います。まさに、儀礼文化と工芸文化のコラボです。さらには、儀礼文化は工芸文化によって完成すると言えるかもしれません。
儀礼文化は「うつわ」によって完成するとすれば、葬儀という儀礼文化が行われるセレモニーホールとは「うつわ」そのものであることに気づきます。日本初の大型セレモニーホールとされる「小倉紫雲閣」を作った佐久間進名誉会長はもともと茶人でした。名誉会長は茶器のように「礼」を完成させる器として紫雲閣を建設したのです。そして、わが社は、「はこ」ではなく礼を完成させる「うつわ」としてのセレモニーホールを作り続けてきました。それは「礼器(らいき)」と呼べるものです。
●礼器は平器である!
この「礼器」には別名があります。
「平器」という言葉です。「平」とは「平和」であり「平等」のことです。
わが社が運営するホテルや結婚式場は平器です。なぜなら、「結婚は最高の平和」という理念が実現する場だからです。
もともと、結婚は男女の結びつきだけではありません。太陽と月の結婚、火と水の結婚、東と西の結婚など、神秘主義における大きなモチーフとなっています。結婚には、異なるものと結びつく途方もなく巨大な力が働いているのです。それは、陰と陽を司る「宇宙の力」と呼ぶべきものです。
同様に、戦争が起こるときにも、異なるものを破壊しようとする宇宙の力が働いています。つまり、「結婚」とは友好の王であり、「戦争」とは敵対の王なのです。
まったくの赤の他人同士であるのもかかわらず、人と人とが認め合い、愛し合い、ともに人生を歩んでいくことを誓い合う結婚とは究極の平和であるというのがわが持論です。結婚は最高に平和な「出来事」であり、「戦争」に対して唯一の反対概念になるのです。
●「平和」と「平等」が同時に実現する
また、セレモニーホール(コミュ二ティホール)も平器です。「死は最大の平等である」の理念が実現する場だからです。
箴言で知られたラ・ロシュフーコーが「太陽と死は直視することができない」と語りましたが、太陽と死には「不可視性」という共通点があります。
わたしは、それに加えて「平等性」という共通点があると思っています。太陽はあらゆる地上の存在に対して平等です。太陽光線は美人の顔にも降り注げば、犬の糞をも照らすのです。わが社の社名は、「サンレー」ですが、万人に対して平等に冠婚葬祭を提供させていただきたいという願いを込めて、「太陽光線(SUNRAY)」の意味を持っています。
「死」も平等です。「生」は平等ではありません。生まれつき健康な人、ハンディキャップを持つ人、裕福な人、貧しい人……「生」は差別に満ち満ちています。しかし、王様でも富豪でも庶民でもホームレスでも、「死」だけは平等に訪れるのです。
●茶室からセレモニーホールへ
「平器」の原型として、茶室があります。わたしは、「茶室」を究極の平和と平等の空間として位置づけています。
かつては武士であっても刀を預けなければ入室できず、天下人であっても身分を離れ、小さな出入口である「躙口(にじりぐち)」から頭を下げて入ることで、すべての人間が平等になれます。身分や貧富の差に関係なく、誰もが同じ歩幅で飛び石を踏み、同じ目線で語り合うのです。茶道の根底にある「和」の精神により、互いを思いやり、調和を保つ平和な空気が醸成されます。
この茶室の平和性・平等性を受け継いだのが紫雲閣です。もうすぐ100店となるわが社のセレモニーホールは、故人や遺族の想いを受け止め、儀礼を成り立たせるための「礼器」としての役割を担うものです。そして、平和と平等を実現する「平器」です。
今月も15日に「終戦の日」が来ましたが、世界ではまだ戦争が行われています。
前にこの講話の中で『「人文知」は武器になる』という本を紹介しました。同書では、人文知の結晶としての儀式の重要性を説いていました。しかし、平和と平等の「うつわ」である儀式に「武器」という言葉を使うのは矛盾ではないでしょうか。それは「平器」と呼ばれるべきです。冠婚葬祭業は平器産業なのです!
この世には戦が絶えぬものならば
われらつくらん 平和のうつは 庸軒