空に太陽、地上にサンレー、今年、陽はまた昇る!
あけまして、おめでとうございます。
1月4日の北九州本部における新年進発式を皮切りに全国の事業部を回ってきましたが、各地の進発式では「陽はまた昇る」として題して太陽の話をし、祝賀会ではウクレレを弾きながら錦野旦の「空に太陽がある限り」を歌いました。自分でもとまどうくらいにウクレレが受けまして、みなさん、大いに盛り上がってくれましたので、社長として新年の初仕事をひとまず無事に終えた気がしてホッとしています。
ちなみに、社長の仕事はいろいろありますが、何よりも大切なのは、社員に気を与えること。企業とは「気業」ですから、みなさんを元気づけて、陽気になっていただき、勇気を持って、やる気を出していただくことが最重要だと私は思います。
それにはまず、明確なミッションとビジョンを示さなければなりません。当社には「人間尊重」というすばらしいミッションがありますし、「ストレート・トゥー・ミッション」「スキル・トゥー・メジャー」の二つの新S2Mも発表しました。「右手にS2M、左手にウクレレ」ということで、今年も一生懸命がんばりますので、どうぞよろしくお願いいたします。
「互助会通信」最新号に私が書いたコラムが業界で反響を呼んでいるようですが、内容は「死」と「太陽」に関するものでした。かつてラ・ロシュフーコーが「太陽と死は直視できない」と語りました。不可視性という点で死と太陽は共通しているわけですが、それゆえに、死も太陽も畏怖すべき聖なる対象なのでしょう。
私はもう一つ、平等性という共通点があると思います。「死は最大の平等である」とは私の口癖ですが、不平等に満ちた生と違い、王様にも大富豪にも庶民にもホームレスにも、そしてあらゆるハンディキャップを抱える人々にも死は平等に訪れます。死が万人に平等なゆえに、死の儀礼、すなわち葬儀は「人間の尊厳」に深く関わっています。約十万年前にネアンデール人が死者を初めて埋葬した瞬間、サルがヒトとなり、人類の文化がその壮大なスタートを切ったとさえ言われるように、弔いという行為によって一人のヒトは初めて一人の人間として認められるのです。
ですから、阪神大震災や米国同時多発テロの後の瓦礫に埋まって身元不明となった数多くのご遺体には心が痛みました。やはり、その人のご遺体と遺影を前にして、人間らしい葬儀をしてさしあげたかった。そしてここ数年で私が最も怒りを覚えたのが、地上最凶・最悪のテロ国家である北朝鮮が、日本人拉致被害者の墓が洪水で流れたなどという荒唐無稽な発表をしたことです。本当に、人間の尊厳を何だと思っているのか!怒髪天を衝くとは、このこと。腹わたが煮えくりかえるほどの怒りが心の底から沸いてきます。
あらためて、私たちは冠婚葬祭によって「人間の尊厳」を守るという素晴らしい仕事をさせていただけることに感謝し、「人間尊重」の大ミッションを胸に刻み込みましょう。
さて、死と同じように太陽も平等です。太陽は人間どころか、全生物、無機物さえも含めた全存在に対して平等なのです。私が尊敬してやまない中村天風という方は「太陽の光線は美人の顔も照らせば、犬の糞も照らす」と述べています。「お天道様」という言葉があるように、太陽は絶対真理の象徴でもあります。不平等・不公平・不正に満ちた暗闇には太陽の光線が必要です。そこで、コラムの最後に私は「陽はまた昇る」と書いたのです。
「陽はまた昇る」とはまず日本のことです。北朝鮮はもちろん、国家エゴ丸出しのアメリカも、ODA(政府開発援助)で大恩を受けているにもかかわらず、日本に敵意むきだしの中国など、矛盾に満ちた国際社会の中で、やはり太陽の国である日本が光を放たなければならない。今の日本はダメですが、「世界史上の奇跡」といわれた無血革命である明治維新を経て日露戦争で勝利するまでの日本は世界に対してまばゆい光を放っていました。司馬遼太郎の『坂の上の雲』などで明治人の志や生きざまにふれると、私はいつも涙ぐんでしまいます。
私たちの先祖が、「富国強兵」というミッションのもと、いかに国家を愛し、家族を愛し、高いプライドを持って必死に生きたかを思うと、今の日本人は本当に情けなく、日本人でないとさえ思われるのです。明治人もまた、武士道の名残で慎み深く、礼儀正しく、そして親孝行でありました。私は世界史を見ても、明治時代の日本という国家は高い精神性を備えた超一流国であったと自信を持って言えます。現在、精神性において三流国となった日本は、明治人の志を取り戻し、再び世界の太陽とならねばなりません。
そして、「陽はまた昇る」はサンレーのことです。かつてサンレーは冠婚葬祭互助会業界において圧倒的な存在感を示し、王者の位置に君臨する太陽でありました。今では信じられないかもしれませんが、北九州の各営業所には互助会に入会を希望する人々が申込書を手に行列し、小倉平安閣は現在のシーホークを超える年間2,000件の結婚式を施行し、日本初の葬祭会館である小倉紫雲閣を建設し、花嫁衣裳展や葬祭博などの各種イベントもサンレーが初めて企画しました。北九州での大成功で勢いを得て、難攻不落と言われた「真宗王国」の金沢など全国各地に乗り込んでいきました。特に今からちょうど30年前、本土復帰と同時に沖縄に進出した時は業界がそのスピードの速さに仰天したといいます。そして、かの創価学会でさえ、普及に最も苦戦したという独自の宗教観・信仰体系・相互扶助システムを持つ「守礼之邦」に完全に互助会を根付かせたことは奇跡的といえるでしょう。何よりもその当時のサンレーの勢い、凄さは、会長が37歳の若さで全互協の初代会長に就任した事実がすべてを語ってくれます。まさに、サンレーは冠婚葬祭業者すべてが認める業界の太陽であり、他社はサンレーに憧れて、サンレーを目標として努力してきたのです。
そのサンレーもここ10年近くは、業容拡大の反動で会社を整える時期に入り、他社の目からは落日かというか海の彼方に沈み行く夕日に見えたかもしれません。しかし、サンレーがおとなしくしていた間、業界はどんどんおかしな方向に向かい、冠婚葬祭業の持つ社会的使命を忘れた会社が続出しています。私のコラムの「陽はまた昇る」の一文がサンレーの復活宣言であることを見抜いた何名かの互助会の社長さんから激励の言葉をいただきました。みなさん、「やはり、サンレーがしっかりしてくれないと困る」と言ってくださいます。業界は今、サンレーを必要としているのかもしれません。
幸い、昨年のサンレーは、設備投資ゼロにもかかわらず、冠婚件数を伸ばし、葬儀件数のシェアを拡大しました。そして全国展開する互助会の中で唯一、進出しているすべてのエリアでナンバーワンになるという偉業を達成しました。これで今後は収益性を高めていけます。いよいよ、復活の時は近づきました。
朝礼で流れる社歌が「日の光 満ちあふれ」のフレーズで始まるように、サンレーとはそのものずはり太陽の光という意味です。会長は、太陽の平等性に気づき、あらゆる人々がわずかなお金で冠婚葬祭を行なうことができる人間尊重の社会づくりという願いを込めて「サンレー」という社名を付けたのです。NHKの「プロジェクトX」の主題歌である中島みゆきさんの「地上の星」が驚異的なロングヒットになっています。不可能とされたイノベーションに果敢に挑戦し、見事成功させた幾多の企業は偉大であり、まさに地上の星といえるでしょう。しかし、サンレーは地上の太陽なのです。それだけ大きな社会的使命を負っているのです。新年に私のウクレレにあわせて共に歌い踊っていただいたみなさんがアメノウズメとなって天の岩戸を開き、アマテラスすなわち太陽をめざめさせたような気がしてなりません。
空に太陽、地上にサンレー。
今年、真紅の朝日となって、陽はまた昇ります!