礼経一致のサンレー哲学 論語とソロバンで外道に宣戦布告!
ついに私も40歳になりました。記念すべき(?)40回目の誕生日は、私の大好きな金沢の地で迎えました。前日の夜に金沢入りして、日付が変わる前に自分に課していた四十回目の『論語』通読を厳粛な気持ちで無事に終えることができました。
さすがに40回も読むと、『論語』が自分の血肉の一部になり、あこがれの孔子様と心が通じてくるような気がします。「宇宙第一の書」とまで言われる『論語』の言葉はどれも魂に響く素晴らしい内容ですが、特に私が好きな言葉を三つ紹介したいと思います。
「人而不仁、如礼何。」(人にして不仁ならば、礼をいかんせん。) 意味は、不仁の人が礼を行なったとて何になろう。
「放於利而行、多怨。」(利によりて行なえば、怨み多し。) 意味は、行動が常に利益と結びついている人間は、人の恨みを買うばかりである。
「富而可求也、雖執鞭之士、吾亦為之。如不可求、従吾所好。」(富にして求むべくんば、執鞭の士といえども、われもまたこれをなさん。もし求からずんば、わが好むところに従わん。)意味は、人間の努力目標が富の追求にあるというのなら、私もそのように努力しよう。そのためにはどんな賤しい仕事でも厭わない。だが、富が人間の目標でないとすれば、私は自分の行きたい道を選ぶ。
いずれも、冠婚葬祭という「礼」そのものの事業に携わる者にとって、決して忘れてはならない言葉であり、メッセージです。口では「愛」とか「夢」とか唱えながら、実はそれに全く反する生き方をしている某大手互助会の社長に贈ってさしあげたい気がします。
でも、そんな人の道に外れる外道社長でも、悲しいことに商売は抜群にうまく、かなりの利益を上げているようです。人の道などから外れた方がビジネスは順調にいくのでしょうか。いや、そんなことはない!
私が尊敬してやまない渋澤榮一という方がいます。「日本資本主義の父」といわれ、幕末・明治を生き抜いた巨人で、なんと五百以上の会社を設立しました。その範囲も、銀行、鉄道、海運、紡績、保険、鉱山、織物、製鋼、陶器、造船、ガス、電気、製糸、印刷、製油、築港、開墾、植林、牧畜、石油、セメント、ビール醸造、帽子の製造、製麻、製藍、水産、レンガ製造、ガラス製造、人造肥料、汽車の製造、貿易、倉庫、取引所、ホテル、というぐあいに経済のありとあらゆる面に関わっています。彼は会社というより、500以上の業界を創ったのです。
三井、三菱、住友、阪急、東急、西武に豊田、松下など実業界の巨人はたくさんいますが、渋澤榮一こそは日本史上最高・最大の実業家であったと言えるでしょう。その彼は、父の影響で幼少の頃より『論語』に親しみ、長じて実業家になってからも、その経営姿勢は常に孔子の精神と共にありました。「道徳と経済の合一」「義と利の両全」を説いた彼の経営哲学は、有名な「論語と算盤」という言葉に集約されます。
佐久間会長も渋澤榮一の考え方に共鳴し、サンレーの経営理念を「礼経一致」と定め、「論語と算盤」を「ロマンとソロバン」というふうに現代風に言いかえたりしてきました。
こういった考え方は、決して渋澤榮一だけではありません。彼は日本の資本主義を創りましたが、世界の資本主義そのものの誕生には、かのアダム・スミスが深く関わっています。言うまでもなく『国富論』の著者であり、近代経済学の生みの親です。彼の「神の見えざる手」という言葉はあまりにも有名です。ところが、彼は経済学者になる以前は道徳哲学者であり、『道徳感情論』という主著があるのです。
この本は最近、岩波文庫から新訳が出たので、誕生日の夜、小松─福岡便の中で読み始めました。二分冊で千ページ近くもある本ですが、一気に読了して驚きました。まさに『論語』や『孟子』の西洋版!人間としてのあるべき姿、理想の生き方が詳細に述べられているのです。
アダム・スミス自身は『道徳感情論』を世界的ベストセラーとなった『国富論』よりも重要視し、死の直前まで何度も改訂増補を加えました。彼もまた、道徳と経済は両立すべきものであると信じていたのです。
北陸において40回目の『論語』を読み終え、『道徳感情論』を読み始めた。今回、北陸でいろいろなことがあり、私も考えるところが多々ありました。結局、目先の金のために道徳心を捨てる者は「人の道」を踏み外すのみならず、金をも得られずに損をする、というのが今の実感です。わずかの金のために、人間としてのプライドを捨てるのは本当に悲しいことです。
モラルとマネーは両立しうる。いや、モラルなくしてマネーなし。不惑を迎えた私は、右手に論語、左手にソロバンを持って、大いなる人の道、経営道を歩んで行きたいと思います。