マンスリーメッセージ サンレーグループ社員へのメッセージ 『Ray!』掲載 2023.08

コンパッション実践の先駆者 二宮尊徳の生き方に学ぼう!

●二宮金次郎のコミック
 『猛き黄金の国 二宮金次郎』上下巻、本宮ひろ志著(集英社)というコミックを読みました。上巻の第1話の冒頭に、伊能忠敬が登場します。日本全国を測量するために小田原を歩いていた忠敬が出会ったのは、二宮金次郎と名乗る少年でした。
 12歳の金次郎は薪を背負い『中庸』を読みながら歩いていました。『中庸』とは、『論語』『孟子』『大学』と並んで『四書』と呼ばれる儒教の最重要書です。『中庸』を読み終えた後は『大学』を読むのが一般的でした。
 忠敬は金次郎に「どうだ、『大学』を読む前に『経典余師(けいてんよし)』を読んでみては?」と薦めます。『経典余師』は、江戸中期の経書の簡明な注釈書で、上欄に仮名で読みを記してあります。忠敬から米の握り飯をご馳走になりながら、金次郎は「『経典余師』僕も読みたいと思っていますが、高くて買うお金がありません」と言います。伊能忠敬から貴重なアドバイスを受けた金次郎は、『経典余師』を読んでから『大学』を読み始めます。

●理論よりも実践が大事
 薪を運びながら『大学』を読んでいたある日、金次郎は1人の老人に声をかけられます。「あんたの読んでいるその本は『大学』だろう」と問う老人に「はい」と答えると、老人は「だったら、『経典余師』を読んでおくとよいぞ」と言います。「はい、昔ある人にその本を教わり、買いました」と答える金次郎に、老人は「本物じゃのォおぬし・・・『大学』を読むのに『経典余師』を読んでおるか」と感心するのでした。金次郎が名を尋ねると、老人は「本好きのじじいじゃ」とだけ言って去っていきますが、彼は小田原藩の儒学者である宇野椎之進でした。後に城内で金次郎と対面した椎之進は、「わしはただの学問屋じゃ。その学問をどう実際の世で使うか。それの何1つやれていないわしは、ただのクソじゃよ、二宮金次郎君」と言います。
 この椎之進の言葉は真実であると思います。「尊徳」と名のった晩年の金次郎は、「学者と坊主」が嫌いだったそうです。理論や教説よりも、現実を良く変えなければ意味がないと考えたのです。
 そして金次郎は、貧しい農民たちが豊かに生きていくのはどうすればいいかを考え続け、実践し続けた人でした。

●「五常講」は互助会のルーツ
 具体的な方策として「五常講」というものを発案しました。しかし、彼の名前ではなく宇野椎之進の名で発表します。自分のような名も地位もない人間よりも、宇野のような大学者の名前で発足した方が効果的であるという実践的な考えからでした。
 金次郎の頼みを受けた椎之進は、五常講について「五常とは仁義礼智信・・・儒教が重んじる5つの徳目を言う。この人倫五常の道によって、余裕のある者は仁をもって金を貸し出し、借りる者は義をもって講より借り入れをする。礼をもって貸してくれた者に感謝し、誠実かつ1日でも努力工夫する。貸した者に借りた者が相互に信頼しあうのが信だ。これを実行に移す小田原藩服部家の中で互いを助け合うという制度として、名づけて五常講じゃ」と言うのでした。この五常講についての説明は、互助会の理念そのものでもあります。
 「相互扶助」という言葉そのものも使われており、互助会のルーツは二宮金次郎にあったのかもしれません。

●コンパッション実践の先駆者
 わたしは、思いやりを意味する「コンパッション」と健康・幸せを意味する「ウェルビーイング」という2つの考えが陰陽の関係にあると考えていますが、江戸時代に「コンパッション村」「コンパッション藩」「コンパッション共同体」と、そこにおける「ウェルビーイング」の実現を図ろうと社会実践をしていたのが、二宮尊徳だという説があります。宗教哲学者で京都大学名誉教授の鎌田東二先生が唱えておられます。
 二宮尊徳こそ、江戸時代における「コンパッション都市」づくりの先駆者だというのです。彼の思想は、すべての事象は根本的に陰陽の関係にあり、それが「相生」するか、「相克」するかの違いに帰着します。「コンパッション」は重要な思想ですが、もしそこに、押しつけがましさとか強制とか共感支配とかがあると、それはもはや「相生」ではなく「相克」になる可能性があり、その場合、「共感都市」が、「相克的叫喚・受苦受難都市(共同体)」になる可能性もあるというのが鎌田先生の考えです。

●自分の仕事に誇りを持つ
 二宮尊徳は、終生、コンパッションの精神をもって農民のウェルビーイングに尽力し続けた人でした。そのため、武士階級と衝突することが多々ありました。
 「おのれは武士をなめすぎておる。この国は武士が治めているのだ」と言う武士に対して、尊徳は毅然と「あなたにとって国を治めるとは民になめられるな! それが第一ですか? 民の上に君臨するだけですか?」と言い放つのでした。
 この言葉は、わが社のあらゆる部署のあらゆる上司にも心に刻んでほしい言葉です。上司とは部下になめられず、部下の上に君臨するのが仕事ではありません。
 最後に、わたしが最も尊徳を尊敬する点は、心の底から農業に誇りを持っていたことです。極貧の中にあっても、少年・金次郎は「父ちゃん、母ちゃん、おいらを農民に生んでくれて、ありがとう!」と田んぼに向かって叫びます。この場面が一番感動しました。人間の幸せとは「自分の仕事に誇りを持つ」ことに尽きるからです。
 わたしたちは、冠婚葬祭業という礼業に対して心からの誇りを持ちましょう。そこに、持続的幸福としての「ウェルビーイング」が生まれるのです。

 自らの生業(なりはひ)信じ 
  心より誇り抱くは幸せの道  庸軒