映画「君の忘れ方」公開 「月あかりの会」で悲縁を育てよう!
●「君の忘れ方」の全国公開
阪神・淡路大震災から30年目となる1月17日は、待ちに待った日本映画「君の忘れ方」の全国公開日でした。
わたしが18年前に書いた『愛する人を亡くした人へ』を原案とした、グリーフケアのドラマ映画です。
主演が坂東龍汰、ヒロインが西野七瀬と、当代一の人気コンビが熱演し、各地で大きな話題を呼んでいます。サンレー本社のある北九州では、18日に、シネプレックス小倉で上映会&舞台挨拶が行われました。ありがたいことに、同館オープン以来の超満員だったそうです。このシネプレックス小倉にはよく来ているので、「満員御礼」は感無量でした。
舞台挨拶では、映画プロデューサーの益田裕美子さんがMCを務められ、原案者であるわたしが登壇しました。益田さんが「映画の中にも登場した『月あかりの会』は、実際に存在されているとも伺いました。サンレーさんが運営されていると聞きましたが・・・どのような活動をされているのでしょうか?」との質問がありました。わたしは、「サンレーでは2010年に遺族の会 『月あかりの会』を発足させ、連動して集いの場所『ムーンギャラリー』を開設しました。グリーフケアには、 同じ思いの人たちが集まれる場が提供されることが最も大切で、同じように大切な方を亡くされた方々と安心して安全に語り合うことが重要なのです」と言いました。
●「月あかりの会」とは
「月あかりの会」には、わが社で葬儀をされた方を中心に参加していただき、アロマテラピーやカウンセリング、ヒーリングミュージックなど「癒し」のお手伝いをしています。合同慰霊祭や体操、カラオケなどのカルチャー教室をはじめ、セミナーや講演会などを企画・実施する「学び」。バスハイクなど、旅行やレクリエーションを通し、和やかに楽しむ「遊び」などを行います。
遺族の会では愛する人を亡くしたという同じ体験をした遺族同士の交流の中で少しでも自分の「想い」や「感じていること」を話すことが出来る場を提供することが出来ました。ひとりひとり喪失の悲嘆に対しての感じ方は異なりますが、同じ体験をしたという共通点を持ち、お互いに尊重しあい、気づかう関係性となっています。また交流を行う場の提供により「愛する人を喪失した対処から、愛する人のいない生活への適応」のサポートにもなっていると感じています。施設の中ではそれぞれが交流しやすいようにフラワーアレンジメントや囲碁や将棋など趣味や興味のあることが行えるようにしており、それぞれが交流しやすい場となっています。
●グリーフケアのサポート活動
すでに15年もの活動を続けていますが、最初の頃に参加された方は新しく参加された方へのケアのお手伝いをしたいなど新しい目標を見つけ、生きがいとなっている方も増えてきています。葬儀の現場を見てみても、地方都市においては、一般的に両親は地元に、子息は仕事で都市部に住み離れて暮らす例が多く、夫婦の一方が亡くなって、残された方がグリーフケアを必要とれる状況を目の当たりにすることが増えています。この他には亡くなった方を偲び、供養のお手伝いとして毎年地域ごとに分かれセレモニーホールを利用して慰霊祭を行い、一周忌・三回忌を迎える方に参加していただいています。
●冠婚葬祭互助会の役割
わたしは、冠婚葬祭互助会こそグリーフケアに取り組むべきなのであると考えています。かつて冠婚葬祭は、地縁、血縁の手助けによって行われていました。家族の形の変化や時代の流れの中で、冠婚葬祭互助会という便利なものが生まれ、結婚式場や葬祭会館ができ、多くの方にご利用いただくようになりました。
同様に死別の悲しみも、近所の方、近親者の方によって支えられてきましたが、地縁、血縁が薄くなる中で、グリーフケアの担い手がいなくなっています。生まれてから「死」を迎えるまで人生の通過儀礼に関わり、葬儀やその後の法事法要までご家族に寄り添い続ける互助会が、グリーフケアに取り組むことは当然の使命です。
悲嘆や不安の受け皿の役割は、これまで地域の寺院が担ってきました。しかし、宗教離れが進み、人口も減少していく中で、互助会は冠婚葬祭だけでなく、寺院に代わるグリーフケアの受け皿ともなります。
●「悲縁」の誕生
「月あかりの会」を運営して気づいたのは、地縁でも血縁でもない、新しい「縁」が生まれていることです。会のメンバーは、高齢の方が多いので、亡くなられる方もいらっしゃいますが、その際、他のメンバーはその方の葬儀に参列されることが多いです。楽しいだけの趣味の会ではなく、悲しみを共有し、語り合ってきた方たちの絆はそれだけ強いのです。「絆(きずな)」には「きず」という言葉が入っているように、同じ傷を共有する者ほど強い絆が持てます。たとえば、戦友や被災者同士などです。
「月あかりの会」のような遺族の自助グループには、強い絆があります。そして、それは「絆」を越えて、新しい「縁」の誕生をも思わせます。この悲嘆による人的ネットワークとしての新しい縁を、わたしは「悲縁」と呼んでいます。
寺院との関係が希薄になっているいま、紫雲閣を各地に展開するわが社は、コミュニティホールの機能を担うことができますし、また、担っていかなければいけないと思います。そして、そのコミュニティを支えるものは「悲縁」となるのです。
亡き人を想ふ集ひの月あかり
悲しみこそが絆となれり 庸軒