マンスリーメッセージ サンレーグループ社員へのメッセージ 『Ray!』掲載 2025.03

高僧との対談で見えてきた セレモニーホールの未来

●玄侑宗久先生との対談
 『仏と冠婚葬祭』(現代書林)が刊行されました。「仏教と日本人」のサブタイトルで、「宗教と日本人」の対談シリーズも3冊目となりました。前2冊のタイトルが『論語と冠婚葬祭』『古事記と冠婚葬祭』でしたので、当初は『般若心経と冠婚葬祭』という書名を考えていましたが、内容を俯瞰してタイトルは『仏と冠婚葬祭』に落ち着きました。
 儒教では大阪大学名誉教授で中国哲学者の加地伸行先生、神道では京都大学名誉教授で宗教哲学者の鎌田東二先生と対談させていただいた。お二人ともその道の第一人者であり、まことに学びの多い対談でした。
 そして、最後は仏教対談です。ここは仏教学者ではなく、ぜひ、現役の僧侶である玄侑宗久先生をお迎えしたいと願っていました。神道・儒教・仏教は日本人の「こころの三本柱」だとつねづね思っていますが、その中でも最も実践性や応用性や臨床性が求められるのが仏教であり、日々、多くの檀家さんのお葬式に立ち会われ、また東日本大震災で被災した福島の復興にも積極的に取り組まれている玄侑先生ほど、現代日本における仏教の第一人者にふさわしい方はいないからです。

●セレモニーホールの進化
 玄侑先生との対談では、全国に林立し、日本人の葬祭文化に欠かせないセレモニーホールについても意見交換しました。
 わたしは、セレモニーホールというものは、コミュニティホールへ進化する革新性を併せ持っていると考えています。けっして「馴染のない」あるいは「そのときはじめて足を踏み入れた」場所にはするつもりはありません。コミュニティホール化への具体策としては、災害避難所として活用したり、「こども110番の家」や「赤ちゃんの駅」に登録したり、薬やAEDを設置したりしています。わが社は、これまでも今までも高齢者の孤独死を防ぐ「隣人祭り」などを開催してきましたが、さらに地域の交流拠点として、各種の趣味の教室などを開催しています。そこで仲間と一緒に楽しく過ごしてもらい、最期は、そこでお葬式もするという形を提案していきます。
 かつての寺院は、葬儀が行なわれる舞台でありながらも、近隣住民のコミュニティセンター、カルチャーセンターでもありました。
 仏教伝来以来1500年ものあいだ、日本の寺院は生活文化における3つの機能を持っていました。すなわち、「学び・癒し・楽しみ」です。その寺院の機能が衰退してきているため、セレモニーホール、いやコミュニティホールがその機能を担いたいのです。

●寺院の3つの機能
 寺院の3つの機能のうちの「学び」ですが、日本の教育史上最初に庶民に対して開かれた学校は、空海の創立した綜芸種智院でした。また江戸時代の教育を支えていたのは寺子屋でした。歴史を振り返れば、寺は庶民の学びの場だったのです。
 次の「癒し」ですが、日本に仏教が渡来し最初に建立された寺である四天王寺は4つの施設からなっていました。「療薬院」「施薬院」「悲田院」「敬田院」の4つですが、最初の3つは、順に病院、薬局、家のない人々やハンセン病患者の救済施設であり、敬田院のみが儀式や修行を行う機関でした。
 最後の「楽しみ」とは、いわゆる芸術文化のことを指しますが、日本文化ではそもそも芸術、芸能は神仏に奉納する芸であって、それ自体が宗教行為でした。お寺を新築するときの資金集めのための勧進興行などがお堂や境内で大々的に行われました。
 こう考えてみると、「学び・癒し・楽しみ」は仏教寺院がそもそも日本人の生活文化において担っていた機能だったのです。しかし、明治に入って、「学び」は学校へ、「癒し」は病院へ、「楽しみ」は劇場や放送へと、行政サービスや商業的サービスへと奪われてしまい、寺に残った機能は葬儀だけになってしまったのです。

●お寺ルネッサンス
 「セレモニーホールからコミュニティホールへ」というわが社のスローガンは、ある意味で寺院の本来の機能を蘇えらせる「お寺ルネッサンス」でもあります。そして、そこでは、グリーフケアという「癒し」の機能を最重視します。
 けっして誤解してはいけないのは、セレモニーホールが寺院に取って代わるというのではありません。そんな不遜なことは1ミリも考えていません。寺院には僧侶という宗教者がいるわけで、その「聖性」はセレモニーホールにはないものです。
 わたしは、セレモニーホールが寺院の機能をさまざまな点で補完し、仏教という世界でも優れたグリーフケア宗教の持続性に寄与したいと考えているのです。
 玄侑先生は、「元々われわれ僧侶の仕事は、山伏さんたちに手伝ってもらっていました。ところが神仏判然令につづき、明治5年に修験道廃止令が出されると、お寺と山伏さんの協力関係が崩れてしまう。その穴を埋めるように、必要に迫られて出現してくれたのが葬祭業の方々だと思っています。だからいろんな協力関係、お互いにはみだしやダブリがあったっていいと思いますよ。要はコミュニケーションを密にとって、共にグリーフケアに勤しむ仲間として歩む、ということでしょう。古来、神と仏が習合したように、お寺と葬祭業が習合するのも面白いかもしれませんね。実際、葬祭業の部分も併せて葬儀をしている寺もあります」と語られています。
 わたしは、現代日本の仏教界を代表する僧侶である玄侑宗久先生のお話に心打たれました。玄侑先生からの学びを噛みしめて、これからのセレモニーホールの方向性、さらには冠婚葬祭文化の未来について考えていきたいと思います。

 高僧に学ぶ御縁のありがたさ
  仏と歩む冠婚葬祭  庸軒