儀式はアップデートする 冠婚葬祭は不滅である!
●葬式の行方は
昨年12月10日付「日本経済新聞」朝刊の「今を読み解く」欄に東京大学名誉教授の島薗進先生が記事を寄稿されました。
記事は、「簡略化 葬式の行方は」の大見出し、「儀礼や絆 再考の契機」の見出しで掲載されました。その中で、島田裕巳氏の『葬式消滅』とともに、儒教研究の第一人者である加地伸行先生とわたしの対談本である『論語と冠婚葬祭』が紹介されました。
記事の冒頭は、「まもなく3年が経過するコロナ禍で、葬式の簡略化が急速に進んだように見える。家族以外はよばない家族葬とか、直接火葬場に向かいお経もあげないこともある直葬などの増加はすでに進行していたが、さらにお通夜を省いて葬儀・告別式のみ行う一日葬とか、初七日だけでなく四十九日の法要までも葬儀後に繰り上げるやり方などが行われるようになった。コロナ禍の収束後にすっかり元へ戻るということは考えにくく、長期的な葬式の簡略化は今後も止まらないのかもしれない」と書かれています。
●人間の自覚の根本
こうした状況を踏まえて、島薗先生は『葬式消滅』を紹介。同書の「葬式消滅へとむかう社会の動きはとても急激なものです」という一文を取り上げ、「現代の日本では、今のところ多死化が続いており、葬式の数は増えているので、仏教寺院も葬儀社もさほどの危機感をもっていないかもしれない。だが、2030年代には急速に死者が減少していく」と述べておられます。
その後、「生き方にも浸透」として、島薗先生は「そうなると簡略化が進んでいる葬式の数も少なくなっていく。その段階で仏教寺院に戒名や読経を依頼する動機が維持されるだろうか。そもそも葬式をしなくてはならない必然性は遺体の処理というところにあった。仏教が国民に広まる以前の意識に戻り、最低限しなくてはならないことをするというところに立ち返れば、葬式の必要性は感じられなくなるだろう。著者はこう予想している。だが、儀礼を行うということが人間の自覚の根本に関わるという捉え方もある」と述べます。
●礼を通して「生きる意味」を知る
そして、島薗先生は『論語と冠婚葬祭』を取り上げ、「日本の葬祭文化の基底には仏教とともに儒教があり、『論語』以来の伝統に培われた礼を尊ぶ態度は、単に古い信仰の名残りとして軽く見てよいようなものではないとする。中国古典の碩学と葬式や死生観に造詣が深い冠婚葬祭業経営者の対話であるが、多くの点で両者の見方は一致している。人と人との結合において儀礼は重い意味をもっており、とくに死者との絆に関わる葬式の意味は大きい。儒教は葬式を通して生命の連続を保証する思想を含んでおり、日本ではそれが仏教と結びついて人々の生き方や考え方に深く浸透してきた。儒教は死を超えようとする精神文化という点で宗教と見なすべきだが、日本の葬式はそれを体現したものだ。葬式のような礼を通してこそ、生きる意味が確認されてきたことを思うべきであるという」と書かれています。
●儀式のアップデート
記事の最後に、島薗先生は「死者との別れとその後の交わりに形をあたえることを、人類が忘れることはないだろう」と書かれていますが、まったく同感です。本当は、『葬式消滅』とともに、最新刊の『葬式不滅』を取り上げていただきたかったです。同書は記事掲載の3日前に発売されたので間に合いませんでした。同書は島田氏の『葬式消滅』への反論本です。当初、わたしはタイトルを『葬式復活』にしようと考えていました。誤解のないように言うならば、葬式はけっして消滅していません。ゆえに復活させる必要はありません。では、なぜゆえ「復活」と考えたのか。それは、超高齢社会を迎えたわが国にとって、葬式も変わらなければいけないと思っているからです。ましてや、コロナ禍の今、ポストコロナ時代を見据えて、葬式は変わらなければいけません。要・不要論ではなく、どう変化していくかです。わたしはそれを「アップデート」と呼びたいと思います。そして、その結果、わたしは『葬式復活』ではなく、『葬式不滅』だと思い至りました。
●冠婚葬祭は普遍の文化
島田氏は『葬式は、要らない』『0葬』に続いて、『葬式消滅』を出版しました。前2作に関しては、わたしは『葬式は必要!』『永遠葬』という反論本を出してきました。しかし、「今回は無視できないタイトルだな」と思いました。というのも、それまでの「葬式の要・不要論」は個人の選択の中にありましたが、『葬式消滅』のタイトルや内容から感じた印象は「社会が葬式を必要としていない」といった印象を抱いたからです。
コロナ禍の今、要・不要論ではなく、どう変化していくかが重要で、「アップデート」が問題なのだと思います。『葬式不滅』では、そのアップデートについて書きました。
ダムは小さな穴から決壊するとか。『葬式は、要らない』→『0葬』→『葬式消滅』という流れは、確実に「穴」が大きくなっている証拠でしょう。わたしは、今回も無視することはやめ、あえて3回目の反論をしました。
人間は神話と儀礼を必要としていると考えます。社会と人生が合理性のみになったら、人間の心は悲鳴を上げてしまうでしょう。結婚式も、葬儀も、人類の普遍的文化です。多くの人間が経験する結婚という慶事には結婚式、すべての人間に訪れる死亡という弔事には葬儀という儀式で、喜怒哀楽の感情を周囲の人々と分かち合います。これからも、礼業であるわたしたちは、冠婚葬祭という不滅の文化を守りましょう!
人はみな神話と儀礼求めつつ
心ゆたかに生くるものなり 庸軒