葬式消滅から葬式復活へ 日本仏教の核心は先祖供養にあり!
●死者を想う季節
8月になりました。今年も、死者を想う季節がやってきました。6日の「広島原爆の日」、9日の「長崎原爆の日」、12日の御巣鷹山の日航機墜落事故の日、15日の「終戦の日」というふうに、3日置きに日本人にとって大切な日が訪れます。そして、それはまさに日本人にとって最大の先祖供養である「お盆」の時期とも重なります。
お盆の三が日は「地獄の釜も開く」と言われています。しかし、地獄や極楽とは庶民教化の方便として説かれたものです。
それらは、人間の現世における行いによって未来永劫の住処となるはずのものなのです。そこから、どうして帰ってきたりすることができるのでしょうか。ましてその死霊が地獄から来ているのだとすれば、これを再び地獄へ送り帰すなど、肉親の情を持つ者にできることではありません。盆行事を営んでいる日本人の多くは、おそらく自分たちの先祖が極楽に行っていると信じているのでしょう。
仏教では、この極楽浄土は西方十万億土の彼方にあると、庶民に説いています。そこは煩悩罪悪に汚されたこの世、穢土(えど)を厭離(おんり)して往生すべき理想郷のはずなのです。
●葬式仏教と儒教
せっかく往いて再生した浄土から、日本人はどうして厭離すべきこの穢土へ先祖の霊を迎え、また送り出さなければならないのか。このように、仏教の教えと実際の日本人の先祖供養とは矛盾する部分があります。その理由は、「葬式仏教」と呼ばれるものの本質は、じつは仏教ではなく、儒教にあるからです。
7月15日、サンレーグループ全国葬祭責任者会議が開催されましたが、日本における儒教研究の第一人者で大阪大学名誉教授の加地伸行先生を特別講師としてお招きしました。儒教を倫理道徳だと思っている人もいるようですが、儒教ほど宗教らしい宗教はありません。なぜなら、宗教の核心は「死者をどう弔うか」ですが、儒教ほど葬儀を重んじる宗教はないからです。
世界中の宗教で、最も葬儀を重視しているのが儒教なのです。加地先生は、日本人の葬式の根本は儒教であると喝破されました。また、日本仏教のうち80%は儒教、10%は道教、10%はインド仏教で構成されていると説明されました。
●『葬式消滅』への批判
加地先生の特別講演の後、わたしが1時間話をしました。わたしは、宗教学者の島田裕巳氏の最新刊『葬式消滅』の内容を紹介しながら、その疑問点を指摘・反論していきました。直葬などの登場で、日本の葬儀はますます簡素で小さくなってきました。島田氏は、遺族がお骨を持ち帰らない「0葬」を提唱し、「高額な戒名も不要、お墓も不要となってきた」と訴えます。
わたしは、2010年に島田氏のベストセラー『葬式は、要らない』への反論書として『葬式は必要!』を書き、5年後には島田氏の『0葬』への反論書として『永遠葬』を執筆。さらに、その1年後、島田氏と対談し、その内容をまとめた『葬式に迷う日本人』を出版しました。多くの方々から『葬式消滅』に対抗して今度は『葬式復活』を書いてほしい」と言われましたが、わたしとしては、加地先生との対談本である『論語と冠婚葬祭』が島田氏への最終回答だと考えています。
●インド仏教・中国仏教・日本仏教
仏教はインドで誕生しましたが、そこで「輪廻転生」という考えが生まれながらも、中国人はそれを受け容れずに「浄土」という考え方を打ち出しました。中国で仏教は大きく変容し、そこから浄土教信仰が生まれますが、そこで中国の土着の宗教である儒教が影響を与えました。
儒教では、孝の観念を強調します。仏教は儒教の「孝」の考え方を取り入れて、追善供養というやり方を編み出しました。追善供養の代表が、故人の命日に行われる年忌法要です。その際には法事を行い、先祖の供養を任せている菩提寺に布施をします。これによって、亡くなった先祖は極楽往生を果たすことができるとされました。
こうした考え方が日本にも浸透することで、日本の「葬式仏教」の体制が確立されることとなりました。そして、葬式仏教は曹洞宗を中心に発展していくことになります。
このように、インド仏教、中国仏教、日本仏教を仏教として一緒くたにせず、別の宗教であると理解した方がいいと思います。
●先祖供養と日本人の「こころ」
『葬式消滅』の最後に、島田氏は、仏教の根本は悟りにあるとして、「これからの仏教は、ふたたび釈迦の悟りとは何かを問うものになっていくのではないでしょうか。もし仏教が、そちらにむかうのだとしたら、それは、仏教と葬式の関係が切れた成果なのかもしれないのです」と結論づけます。
日本人の「こころ」は仏教、儒教、そして神道の三本柱から成り立っています。その共通項は「先祖供養」です。また、日本における仏教の教えは本来の仏教のそれとは少し違っています。インドで生まれ、中国から朝鮮半島を経て日本に伝わってきた仏教は、聖徳太子を開祖とする「日本仏教」という一つの宗教と見るべきでしょう。
日本人の葬儀の今後の大きなテーマは「グリーフケア」です。島田氏は「追善供養はいらない」と述べていますが、グリーフケアにおいては追善供養ももちろん重要な意味を持っています。
現在、グリーフケアの舞台は寺院からセレモニーホールに移行していく流れにありますが、わたしたち冠婚葬祭互助会の役割と使命は非常に大きいと言えます。儀式とグリーフケアの力を知り、「葬式復活」さらには「儀式再生」に努めましょう!
輪廻だの浄土だのと唱えても
先祖供養の道ぞ親しき 庸軒