インドで悟ったこと 太陽と死は平等だ!
●アジア研のインド研修
2月13日から18日までインドに行ってきました。互助会保証が主宰する「アジア冠婚葬祭業国際交流研究会」の視察研修ですが、わたしは同研究会の副座長を務めています。これまで、前身の「東アジア冠婚葬祭業国際交流研究会」の時代から、韓国、台湾、ベトナム、ミャンマーなどを訪問しました。ちなみに、インドは南アジアに属します。
今回は、聖なるガンジス河をはじめ、サルナート、ブッダガヤ、ラージギルなどの仏教聖地を回りました。言うまでもなく、インドはゴータマ・ブッダが世界宗教である仏教を開いた土地です。その布教のルートを追いながら、ブッダの教えというものを振り返りました。
仏教は、正義より寛容の徳を大切にします。いま世界で求められるべき徳は正義の徳より寛容の徳、あるいは慈悲の徳です。これらの徳が仏教にはよく説かれているのです。わたしは、仏教の思想、つまりブッダの教えが世界を救うと信じています。
●カースト制度は生きている
その一方で、インドでまざまざと思い知ったことがあります。それはブッダがあれほど廃止しようとしたカースト制度が今でも根強く残っていることでした。
カースト制度とは、バラモン教によってつくられ、ヒンドゥー教に受け継がれた身分制度です。大きくは、バラモン(司祭階級)、クシャトリア(王侯・武士階級)、ヴァイシャ(庶民階級)、シュードラ(隷属民)の4つに分けられます。しかし、シュードラの下には、カーストにも組み込まれないアウト・カースト(不可触民)が存在します。 カースト制度はさらに数百の身分、職業などに分けられています。
現在は憲法で禁じられていますが、その風習は根強く残っています。ブッダはこのカースト制度に反対して、あらゆるものの「平等」をめざし、仏教を開いたのです。しかし、残念ながらブッダの志は現在も果たされていません。
●ガンジス河を訪れる
かつて、インドにおいて仏教はヒンドゥー教に弾圧されました。それは、仏教がカースト制度に反対していたからです。事実、仏教がインドから追い出された後、一時的にかなりアバウトになっていたカースト制度は再び厳密になったという歴史があります。 では、ヒンドゥー教というのは人間を差別する悪い宗教かというと、一概にそうも言えません。
ヒンドゥー教は、日本の神道にも通じる、民衆の生活に密着した多神教です。
インドに到着して3日目の早朝、わたしたちは「ベナレス」とも呼ばれるバラナシを視察しました。ヒンドゥー教の一大聖地です。
わたしたちは、まず、ガンジス河で小舟に乗りました。夜明け前は暗かったですが、次第に薄暗かった空が赤く染まっていく美しい光景が見られました。
早朝からヒンドゥー教徒が沐浴をしている光景も見られました。ガンジス川で沐浴すると全ての罪が洗い流されるといわれています。舟からは火葬場の火が見え、わたしは合掌しました。
●大いなる火葬場にて
バラナシには「大いなる火葬場」という別名がありますが、マニカルニカー・ガートとハリスチャンドラ・ガートの2つの火葬場があります。ハリスチャンドラ・ガートは地元の人間専用の小規模な火葬場ですが、国際的に有名なのはマニカルニカー・ガートです。ここは大規模な火葬場で、24時間火葬の煙が途絶えることがありません。
マニカルニカー・ガートに運ばれてきた死者は、まずはガンジス河の水に浸されます。それから、火葬の薪の上に乗せられ、喪主が火を付けます。荼毘に付された後の遺骨は火葬場の仕事をするカーストの人々によって聖なるガンジスに流されます。
ただし、子どもと出家遊行者は荼毘に付されません。彼らは、石の重しをつけられて川底に沈められます。その理由は、子どもはまだ十分に人生を経験していないからであり、出家遊行者はすでに人生を超越しているからだそうです。
●ガンジスを照らす朝日
わたしたちは舟の上から火葬場のハリスチャンドラ・ガートを視察しました。それから上陸して、マニカルニカ―・ガートを訪れました。わたしたちは上陸して、直接火葬場を訪れました。周辺には死にかけた病人が寝ていました。
インドでは、最下層のアウト・カーストが火葬に携わるとされています。
彼らはバンブー(竹)の棒を持って遺体を焼くのです。燃料はマンゴーの木の薪なのですが、貧しい者は牛糞で焼かれるそうです。火葬場所の背後には電気式の焼却炉もありました。電気のほうが安いそうで、電気は約2000円、火葬は約5000円だそうです。
火葬場からガンジス河に昇った朝日がよく見えました。
その荘厳な光景を眺めながら、わたしは「ああ、SUNRAYだ!」と思いました。太陽の光はすべての者を等しく照らします。そんな社名を持つわが社も、「人間尊重」の精神であらゆる人たちを平等に弔うお手伝いをさせていただきたいと心の底から思いました。
その前日にガンジス河を舞台とした遠藤周作の『深い河』(講談社文庫)を再読したのですが、この小説ではマニカルニカー・ガートが非常に重要な役割を果たしています。この火葬場で働く人々は最下層のアウト・カーストだそうですが、わたしには人間の魂を彼岸に送る最高の聖職者に見えました。太陽と死だけは、すべての人に対して平等です。
万人に分け隔てなく降り注ぐ
陽はまた昇り 人は旅立つ 庸軒