太陽・祭り・礼楽の島で冠婚葬祭 おかげさまでサンレー沖縄30周年
サンレー沖縄がめでたく30周年を迎えました。昨年が本土復帰30周年でしたので、実に復帰の翌年にサンレー沖縄は誕生したわけです。
北九州を本拠地に全国展開してきたサンレーですが、特に沖縄の地に縁を得たことは非常に深い意味があると思っています。サンレーの社名には三つの意味がありますが、そのどれもが沖縄と密接に関わっている。それぞれ見ていきましょう。
まず、サンレーとはSUN─RAY(太陽の光)です。沖縄は太陽の島。太陽信仰というのは月信仰とともに世界共通で普遍性がありますが、沖縄にはきわめてユニークな太陽洞窟信仰というものがある。「東から出づる太陽は、やがて西に傾き沈む。そして久高島にある太陽専用の洞窟(ガマ)を通って、翌朝、再び東に再生する。その繰り返しである」という神話があるのです。おそらく、久高島が首里から見て東の方角にあるため、太陽が生まれる島、つまり神の島とされたのでしょう。
そして久高島から昇った太陽は、ニライカナイという海の彼方にある死後の理想郷に沈むといいます。紫雲閣とは魂の港としてのソウル・ポートであり、ここから故人の魂はニライカナイへ旅立っていくのです。
次に、サンレーとは産霊(むすび)です。生命をよみがえらせるという意味です。産霊といえば何といっても祭りですが、沖縄は祭りの島といわれるほど祭りが多い。特に村落単位で行なわれる伝統的な祭りが多く、本土では神社が舞台ですが、沖縄ではウタキ、神アシャギ、殿(トゥン)といった独特の祭場で行なわれます。司会者はノロやツカサなど女性が多いのですが、八重山のアカマタ・クロマタや中部のシヌグなど男性中心の祭りもあります。また、本土のように「みこし」を担ぐ習慣はなく、歌や踊りといった芸能が非常に発達しています。
産霊といえば、生命そのものの誕生も意味しますが、沖縄は出生率が日本一です。15歳以下の年少人口率も日本一で、まともな人口構造は日本で沖縄だけなのです。
マリエール・オークパインでの結婚式を見ると、花嫁さんのほとんどはお腹が大きい。つまり、「できちゃった結婚」がとても多いわけですが、これは素晴らしいことだと私は思います。セックスしても子どもは作らないヤマトンチューはバッド!子どもを作って責任取って結婚式まできちんとするウチナンチューはグッドです。これぞ、人の道!
そして、サンレーとは讃礼(礼を讃えること)です。言うまでもなく、沖縄は守礼之邦。礼においても最も大事なことは、親の葬儀であり、先祖供養です。沖縄人ほど、先祖を大切にする人はいません。1月には16日(ジュールクニチー)、3月には清明祭。ともに墓参りの祭りですが、最大の墓地地帯である那覇の識名の祭りも壮観だし、糸満の幸地腹門中墓は沖縄最大の清明祭が行なわれます。沖縄の人は、先祖の墓の前で宴会を開く。先祖と一緒にご飯を食べ、そこは先祖と子孫が交流する空間となる。本当に素晴らしいことです!子どもの頃から墓で遊ぶことは、家族意識・共同体意識を育て、縦につながる行事です。これは今の日本人に最も欠けていることで、ぜひ本土でもやるべきだと確信します。
このように守礼之邦・沖縄は何よりも「礼」を重んじますが、2500年前に孔子様は「礼楽」という道を説かれました。「楽」とは音楽のことです。音楽をこよなく愛した孔子様は、自らも琴を弾きながら人の道を説かれたといいます。
沖縄は芸能の島です。ここ数年間の「NHK紅白歌合戦」出場者をみても、安室奈美恵、MAX、SPEED、Kiroro、DAPUMP、BEGIN、Gackt、夏川りみ、喜納昌吉&チャンプルーズという面々は沖縄出身です。その他にも、アルベルト城間がボーカルをつとめたDIAMANTES、Cocco、モンゴル800、ネーネーズ、りんけんバンドなど全国ブランドの人気バンドが目白押し。沖縄音楽大躍進の秘密について、安室やMAX、SPEEDが幼い頃から通った沖縄アクターズスクールが何かと取りざたされてきましたが、それよりも重要なのは、沖縄全域におけるエイサー教育の存在です。
本来は、先祖供養のための盆踊りとして沖縄島各地で行なわれていたエイサーですが、中部の中頭を中心に、より芸能的な要素を加えて徐々に裾野を広げていきました。地域によって演じられるスタイルは異なりますが、保育園や幼稚園、それに小学校、中学校の運動会でエイサーが演じられるようになり、今では、堂々の主役となっています。沖縄出身アーティストたちは学校でのエイサーを体験してきたのです。まさに、沖縄は礼楽の島なのです。
創立30周年祝賀パーティーに立ち会って驚きましたが、サンレー沖縄の社員のみなさんも芸達者ぞろい。私もつられて、沖縄三線に挑戦しました。太陽の島、祭の島である沖縄はまさにサンレーの理想そのもの。私はサンレーが沖縄で30年間、冠婚葬祭業を続けてこられたことを心の底から誇りに思います。そして、沖縄には本土の人間が忘れた「人の道」があり、それこそ日本人の原点である。本土復帰から30年を過ぎて、今こそ本土は「沖縄復帰」すべきではないでしょうか。