遊郭と任侠に学ぶ文化の継承 表舞台で文化を守る矜持を持て!
●遊郭は日本文化の集積地だった
わたしは冠婚葬祭文化振興財団の理事長を務めています。今回は日本文化の話をしたいと思います。
法政大学の元総長で江戸文化研究の第一人者である田中優子氏に『遊郭と日本人』という著書があります。田中氏によれば、遊廓は日本文化の集積地でした。書、和歌、俳諧、三味線、唄、踊り、琴、茶の湯、生け花、漢詩、着物、日本髪、櫛かんざし、香、草履や駒下駄、年中行事の実施、日本料理、日本酒、日本語の文章による巻紙の手紙の文化、そして遊廓言葉の創出など、平安時代以来続いてきた日本文化を新たに、いくぶんか極端に様式化した空間だったのです。
わたしは「冠婚葬祭は日本文化の集大成」と考えており、そのことを『冠婚葬祭文化論』(産経新聞出版)に書きましたが、遊郭が日本文化の集積地であるという著者の指摘には虚を突かれた思いでした。
●遊女が日本文化を継承した
2021年末に放送された人気アニメ『鬼滅の刃』第2期では遊廓が舞台になり、親御さんたちは子供にどう説明すれば良いかわからないということが紹介され、田中氏は同書を読むことによって、2つの側面を説明してあげてほしいといいます。
ひとつは遊女が、江戸時代当時の一般の人々でもなかなか身につけられなかった伽羅という輸入香木を、着物と髪に焚きしめ、とても良い香りを放っていたこと。和歌を勉強し、自分で作ることができたこと。漢詩を勉強する遊女もいたこと。書を習い、墨で巻紙に手紙を書いていたこと。三味線を弾き、唄い、琴を弾く遊女もいたこと。生け花や抹茶の作法を知っていたこと。遊廓では一般社会よりはるかに、年中行事をしっかりおこない、皆で楽しんでいたこと。それによって日本文化が守られ継承されたという側面は、ぜひ伝えてほしいと訴えます。
もうひとつは、遊女は、家族が借金をしてそれを返すために遊廓でおつとめをしていて、地位の高い男性のお客様をもてなすために高い教養を持っていたけれど、同時に、借金を返すために男女関係を避けることができなかったことです。
●任侠とは何か
「遊郭」に続いて「任侠」の話をします。任侠とは、仁義を重んじ、弱きを助け強きを挫くために体を張る自己犠牲的精神や人の性質を指す言葉です。ヤクザ史研究家の藤田五郎氏によれば、正しい任侠精神とは正邪の分別と勧善懲悪にあるそうです。
仁義を重んじる任侠的精神は、当然ながら儒教と深い関わりがあります。中国での任侠の歴史は古く、春秋時代に生まれたとされ、情を施されれば命をかけて恩義を返すことにより義理を果たすという精神を重んじ、法で縛られることを嫌った者が任侠に走ったとされます。正義よりも義理が優先される世界なのです。戦国四君は食客や任侠の徒を3千人雇って国を動かしたとして各国から評価され、四君の中でも特に義理堅い信陵君を慕っていた劉邦は、任侠の徒から前漢の初代皇帝にまで出世しました。この任侠らを題材にしたのが『史記』の「遊侠列伝」です。
●任侠とヤクザ・チンピラは違う
『史記』「遊侠列伝」の著者である司馬遷は、「『仁侠』の志を知らずに彼らをヤクザやチンピラなどと勘違いして馬鹿にするが、それは悲しいことだ」と述べています。
中国は広大な面積と複数の言語や民族が存在するので、地方においては法の権威が及ばない、あるいは中央の監視が行き渡らないため人民が地方官僚の暴政に悩むという背景がありました。そんな中、任侠とは庶民の中にあり圧政や無法地帯の馬賊から庶民を守る正義の味方という側面があったのです。そこから、法に頼らない個人レベルとしての恩に対する義理や義兄弟の忠誠が強調され、賊であっても義賊であることも可能でした。
日本でも任侠を主体とした男の生き方を「任侠道」、またこれを指向する者を「仁侠の徒」といいます。天保の飢饉に苦しむ貧民を率先して救い刑死した上州の博徒、国定忠治は任侠の徒として有名です。
●任侠道と武士道
日本人は生まれながらに大和魂を持ちますが、その魂が武士に顕れれば武士道、町人に顕れれば侠客道だという考え方があります。
新渡戸稲造は明治32年に英文で著した『武士道』の中で、武士道精神は男達(おとこだて)として知られる特定の階級に継承されていると述べています。任侠道と武士道には精神的血縁が存在するのです。それは挨拶(仁義の切り方)や食事の作法などにも色濃く表現されており、現在は東映の任侠映画などで確認することができます。
暴政や馬賊などがはびこる半無法地帯の中での庶民の正義という旧中国と違い、法治国家における無頼の輩が「相互扶助を目的に自己を組織化した」のが「暴力団」です。
もともとの任侠は反権力ではあっても、あくまでも暴政に対する対抗や無法地帯において脅かされる庶民を守る存在でしたが、暴力団には「任侠」の欠片もありません。
文化には表もあれば裏もある。遊郭や任侠といった世界は、もちろん裏の世界です。しかし、そこには日本文化の粋といえるものが存在し、「礼」の精神も色濃く反映されています。何よりも、そこにはコンパッションがあり、相互扶助がありました。
わたしたち冠婚葬祭業は表の世界で、それを堂々と打ち出していくわけです。もはや遊女や侠客はこの世に存在しませんが、わたしたちは生きている。まさに、わたしたちは「礼の社」に集った「文化の防人」として誇りをもって、日々の業務に努めましょう
美を守り文化繋いだ遊女(おなご)らと
仁義に生きた男達(おとこ)なつかし 庸軒