40周年、おめでとう!祝いの心が人生に意味を与える
おかげさまで、この11月18日、ついに当社も創立40周年を迎えました。人間ならば「不惑」の年です。
40年前、つまり1966年にはイギリスで音楽革命を起こしたビートルズが来日して、空前の大ブームを巻き起こしました。彼らの影響で日本には多くのグループサウンズが生まれ、若者たちの間では長髪が流行しました。アメリカでは大衆文化の革命を起こしたウォルト・ディズニーが亡くなり、中国では毛沢東がその名も「文化大革命」を起こしました。そんな年に誕生したサンレーは、日本で冠婚葬祭の文化大革命を起こす道を歩みます。本当に紆余曲折ありましたが、ここまで来れたのは社員の皆さんのおかげです。私も社長に就任してから5年が経ちました。心から「ありがとうございます」と言いたいところですが、あえてその前に「おめでとうございます」と言わせていただきます。
なぜなら、この祝うべき40周年の主役とは皆さんだからです。ですから、正月の挨拶のようにお互いに「おめでとう」と言い合おうではありませんか。
当社の40周年にあたっても祝賀会を催しますが、世間ではさまざまな祝賀会が開催されています。インターネットの検索サイトで「祝賀会」というキーワードを引いてみると、たちどころに10万件以上ヒットします。その内容も、企業の創立の周年記念にはじまって、叙勲、受賞、出版記念、還暦などなど、実にバラエティ豊か。
私の好きなアメリカのポップス歌手のディーン・マーティンに「Everybody love somebody sometime」という名曲があります。日本語にすると「誰かが誰かに恋してる」となりますが、まさに今この瞬間にも、「誰かが誰かを祝っている」ということになります。私はロータリークラブの会員ですが、世界各地のロータリークラブでは、毎月の会員の誕生日と結婚祝いを主要な行事と位置づけています。
私は、「祝う」という営み、特に他人の慶事を祝うということが人類にとって非常に重要なものであると考えています。なぜなら、祝いの心とは、他人の「喜び」に共感することだからです。それは、他人の「苦しみ」に対して共感するボランティアと対極に位置するものですが、実は両者とも他人の心に共感するという点では同じです。
「他人の不幸は蜜の味」などと言われます。たしかに、そういった部分が人間の心に潜んでいることは否定できませんが、だからといって居直ってそれを露骨に表現しはじめたら、人間終わりです。社会も成立しなくなる。他人を祝う心とは、最高にポジティブな心の働きであると言えるでしょう。
さまざまな祝賀会の舞台は、やはりホテルをはじめ、結婚式場やレストランが多いようです。いずれも、ブライダルの舞台でもあります。そう、現代において最も多く、最も一般的な祝賀会とは、結婚披露宴なのです。
人生の先輩たちは、披露宴は「お招きする心」「お祝いする心」「おもてなしする心」の三つの心が通い合うことが大切であると語っています。三つの「心」のハーモニーが幸せな生活をスタートさせるためのキーワードになるわけですが、そのためには人生最初のスタートを「ネコババ」からはじめたのではよくありません。
どういうことかというと、まず「お招きする心」があって招待状を出し、招かれた方は「お祝いする心」を祝儀という形にし、それを受ける形で「おもてなしする心」が生まれてくるのです。昔のようにお祝いは二倍返しと考えている人も多いですが、今はそんなことはしません。ですから、新郎新婦が思っているほど新たな費用はかかりません。二人はその上で予算に合わせて、料理と引出物の費用を決めます。わざわざお客様に集まっていただくのですから、そのお礼としていただいた祝儀より予算をプラスするのかどうかという確認をするわけです。そこで信じられない話ですが、料理や引出物の費用を節約し、祝儀で集まったお金を浮かせて、それをハネムーンとか新生活のために取っておこうという輩(やから)が時々います。祝儀というのはお客様のために使うお金であって、その上に自腹で予算を追加するというのが筋なのに、あろうことか披露宴を利用して儲けようとする者がいるのです。そういった人々の行為を日本語では「ネコババ」というのです。
時間とお金とエネルギーをかけて、わざわざ参列してくれたお客様です。そのお祝いの心をいただくだけでも、ありがたくて仕方がないはずです。それを、その上に祝儀までネコババしようとするとは、図々しいにも程があるのではないでしょうか。私たち冠婚葬祭のプロは、そういった人間としての基本をお客様に教えてさしあげることが求められます。そのまま見て見ぬふりをして、結果的にお客様が恥をかいたり、周囲の信用を失ったりしたら気の毒ではありませんか。ドラッカーは「プロとして知りながら、害をなすな」と言いましたが、私たちもプロとしての義務を果たさなければならないのです。
さて、私たちが人生で出会う「お祝い」は、結婚式だけではありません。三日祝い、お七夜、名づけ祝い、お宮参り、お食いぞめ、初誕生、初節句、七五三祝いなど、子どもの成長にあわせて、数多くのお祝いがあります。さらには成人式や長寿祝いも待っています。 守礼之邦・沖縄では「生年祝い」が盛んに行なわれます。十千十二支から出た生年祝いで、数え年13歳、25歳、37歳、49歳、61歳、73歳、85歳、98歳の人たちを旧暦正月の干支の日に祝います。つまり、戌年なら戌の日に祝うわけですで、自分が生まれた年から12年目毎に行なわれるのです。
また、その翌年には、ハリヤク(晴れ厄)という小さな祝いがやはり正月中に行なわれます。97歳のトシビィは「カジマヤー」といって大きな祝いをしますが、沖縄には77歳の「喜寿祝い」や99歳の「白寿祝い」の慣習は元来ありませんでした。カジマヤーとは、風に舞う風車のことです。97歳にもなると幼児に戻って風車をまわして遊ぶという純粋無垢な心をたたえたものです。なんと素敵な言葉ではありませんか。
私は思うのですが、人生とは一本の鉄道線路のようなもので、山あり谷あり、そしてその間にはいくつもの駅がある。「ステーション」という英語の語源は「シーズン」から来ています。季節というのは流れる時間に人間がピリオドを打ったものであり、鉄道の線路を時間に例えれば、まさに駅はさまざまな季節ということになります。そして、儀礼を意味する「セレモニー」も「シーズン」です。七五三や成人式、長寿祝いといった通過儀礼とは人生の季節、人生の駅なのです。
それも、20歳の成人式や60歳の還暦などは、セントラル・ステーションのような大きな駅と言えるでしょう。各種の通過儀礼は特急や急行の停車する駅です。では、各駅停車で停まるような駅とは何か。
私は、誕生日がそれに当たると思います。老若男女を問わず、誰にでも毎年訪れる誕生日。この誕生日を祝うことは、その人の存在価値を認めることに他なりません。別に受賞や合格といった晴れがましいことがなくとも祝う誕生日。それは、「人間尊重」そのものの行為です。ですから、この『Ray!』にも全社員の誕生日を掲載しているのです。是非、誕生日を迎える方がいれば、「おめでとう」の声をかけましょう。
だんだん年齢を重ねてくると複雑な感情もあるようですが、子どものときは、プレゼントへの期待もあって、誕生日が待ち遠しくて仕方がないものです。そもそも誕生日というものが認識されたのは、紀元前3000年頃のエジプトにまでさかのぼります。その当時、生まれた日が意味を持っていたのは、王侯貴族の子弟だけであり、女王以外の女性は祝われることはありませんでした。ギリシャ人がこのエジプトの誕生祝いの習慣を取り入れ、菓子づくりが盛んだったペルシャからケーキづくりが伝わり、バースデー・ケーキの習慣が生まれました。ギリシャの神々の誕生日は毎月祝われ、また男性の誕生祝いも盛大に行なわれました。しかし、女性と子どもは祝う価値がないものとして、キリスト教会が12世紀に祝うようになるまで、長いあいだ無視されていたのです。
ローマ時代に入ると、誕生祝いはますます盛大になりました。「偉大な政治家の誕生日は国家を挙げて祝うべきである」という元老院議員の発案で、紀元前44年、暗殺されたユリウス・カエサルの誕生日が毎年祝われることが決められました。それはパレード、剣闘士の試合、夜会、演劇などを中心に、華やかに行なわれたといいます。
誕生日の習慣は中世ドイツでも盛んになりました。農民たちのあいだで「キンダー・フェステ」という子どもたちの誕生祝いが行なわれました。「キンダー・フェステ」は夜明けとともにはじまり、誕生日の朝、目覚めると「生命のともしび」を表わすため、実際の年齢よりも一つ多く用意されるロウソクを飾ったバースデー・ケーキに迎えられます。ひと息で吹き消す習慣もすでにはじまっていました。誕生日の子どもはプレゼントをもらい、好きなごちそうをつくってもらうことができるという、今の子どもの誕生日と変わらない内容が、すでにドイツの中世において行なわれていたのです。今と違う点といえば、「誕生日おじさん」というサンタクロースのような存在がいたことです。
誕生日には欠かせない「ハッピー・バースデー・トウ・ユー」の曲が誕生日に登場したのは新しく、19世紀頃のことです。自然発生的なものではなく、子どもが歌いやすいようによく考えられた作品です。作者は幼児教育の先駆者として有名なミルドレッド・スミスとパティ・スミス・ヒルの姉妹でした。「グッド・モーニング・トウ・ユー」として1893年に、著作権が登録されています。
欧米では、子どもたちから大人まで盛んに誕生祝いが行なわれています。子どもの誕生会には社交のレッスンの意味があり、正式のパーティーに準じる形で行なわれています。招待状が用意され、プレゼント交換にも礼儀正しい挨拶が交わされるのです。
考えてみれば、会社の創立記念日というのも人間の誕生日のようなものです。この世に生を受け、ここまで育ってきたことを素直に感謝したいものです。
そして、前に冠婚葬祭業とは「ありがとう」産業だと述べましたが、「おめでとう」産業でもあることがおわかりいただけると思います。結婚式をはじめ、七五三、成人式、長寿祝いと、人生のあらゆる場面において「おめでとう」の言葉が発せられる冠婚葬祭。その意味をつきつめて考えたとき、私は「悲しみ」の儀式とされている葬儀もまた、その正体とは「お祝い」であると考えずにはおれません。
約10万年前のネアンデルタール人の墓がトルコにあります。この墓から出土した化石を手がかりにして、考古学者はネアンデルタール人が死者を花の上に寝かせて埋葬していたことをつきとめました。このことから、ネアンデルタール人が「死」を祝い事とみなしていた、つまり、人間が死ぬということは別の世界に移り住むことだと考えていたのがよくわかります。
ですから、葬儀とは人生の卒業式であり、魂の引越し祝いなのです!日本人は人が亡くなると「不幸があった」などと言いますが、死なない人間はいません。必ず訪れる「死」が不幸であるなら、どんな生き方をしようが、人の人生そのものも不幸でしかないことになります。そんな馬鹿な話はありません!もともと古代の日本では、「祝(はぶ)り」も「葬(はぶ)り」も同じ意味でした。葬=祝であることを古代の日本人は知っていたのです。その真理をよみがえらせることこそ、私たちの使命、当社のミッションです。
「月への送魂」をはじめとした、さまざまな試みによって、死が不幸ではなく、葬儀が送魂祝いとなるような時代をひらいていきたいと心から願っています。
人の誕生から死まで、いたるところで「おめでとう」の声が行き交う社会、それがハートフル・ソサエティであり、それを実現する会社がハートフル・カンパニーです。
最後に、一言。みなさん、40周年、本当におめでとうございます!そして、これからも、どうぞよろしくお願いいたします。
おめでとう互いにかけるその声が
心ゆたかな社会を呼び 庸軒