慈しみの心が世界を救う 大いなる慈礼の時代へ
●『慈を求めて』の刊行
新刊『慈を求めて』(三五館)が刊行されました。サブタイトルは「なぜ人間には祈りが必要なのか」です。
同書は孔子文化賞受賞記念出版となった『礼を求めて』(三五館)の続編です。前作同様、国内最大ニュースサイト「毎日jp」のポータルサイト「風のあしあと」に毎月2回連載されている「一条真也の真心コラム」をまとめたものです。
今回は仏教関連のテーマが多いということもあり、「慈」という言葉をタイトルに入れました。現在、わが社では、北九州市門司区の和布刈公園にある日本で唯一のビルマ(ミャンマー)式寺院「世界平和パゴダ」の支援をさせていただいています。
世界平和パゴダは第2次世界大戦後、ビルマ政府仏教会と日本の有志によって昭和32年(1957年)に建立。その目的は「世界平和の祈念」と「戦没者の慰霊」です。
●ミャンマーは世界平和の鍵
ミャンマーは上座部仏教の国です。
上座部仏教は、かつて「小乗仏教」などとも呼ばれた時期もありましたが、ブッダの本心に近い教えを守り、僧侶たちは厳しい修行に明け暮れます。
現在の日本は、韓国や中国といった隣国と微妙な関係にあり、国際的に複雑な立場に立たされています。本来は、儒教の影響が強く「礼」という思想的遺伝子を共有しているはずの日中韓なのに、現状を見ると、本当に悲しくなりますね。
わたしは、ミャンマーこそは世界平和の鍵を握る国ではないかと思っています。「慈悲の徳」を説く仏教の思想、つまりブッダの考え方が世界を救うと信じているのです。
世界平和パゴダの本格再開によって、ブッダの本心に近い上座部仏教は今後さまざまな影響を日本人の「こころ」に与えることでしょう。仏教そのものに着目すれば、大乗仏教の国である日本も、上座部仏教の国であるミャンマーも、ともに仏教国ということになります。すなわち、ともにブッダが説かれた「慈悲」という思いやりの心を大切にする国同士だということです。
●「慈経」を訳す
「ブッダの慈しみは愛をも超える」と言った人がいましたが、仏教における「慈」の心は人間のみならず、あらゆる生きとし生けるものへと注がれます。
わたしは今、「慈経」というお経の自由訳に全身全霊で取り組んでいます。
一昨年の夏、わたしは佐久間会長と一緒にミャンマー大使公邸を訪れました。そこで、キン・マゥン・ティン大使御夫妻およびミャンマー仏教界の最高位にあるダッタンダ・エンパラ大僧正と面談させていただきました。大使と大僧正のお二人から佐久間会長が重大なミッションを授かったのですが、そのとき、大僧正からわたしに「慈経」が手渡されたのです。
「慈経」というのは上座部仏教の根本経典であり、大乗仏教における「般若心経」に相当します。「般若心経」は非常に形而上的というか、抽象的な内容ですね。しかし、「慈経」のほうはきわめて具体的な内容が記されています。
「慈経」を自由訳するという大変な使命を与えられたため、わたしは「慈」というものについて毎日のように考えています。
●あらゆる生きとし生けるものへ
昨年9月に上梓した『死が怖くなくなる読書』(現代書林)で、わたしが取り上げた「死」の本は、いずれも「人間の死」についての本でした。例外は、人魚の死を描いたアンデルセンの『人魚姫』、異星人の死を描いたサン=テグジュペリの『星の王子さま』です。他にも、わたしは新美南吉の『ごんぎつね』が子どもの頃からの愛読書です。
『ごんぎつね』は狐にまつわる童話ですが、鶴にまつわる『つるのおんがえし』、鬼にまつわる『泣いた赤鬼』などの日本の童話も好きでした。それぞれ、最後には狐や鶴や鬼が死ぬ物語で、残された者の悲しみが描かれています。
異星人も人魚も狐も鶴も鬼も人間ではありません。でも、彼らも人間と同じ「いのち」であることには変わりはありません。
人間の死に対する想いは「人間尊重」としての「礼」になります。そして、あらゆる生きとし生けるものの死に対する想いは「慈」となります。「礼」が孔子の思想の核心だとすれば、「慈」はブッダの思想の核心であると言ってもいいでしょう。
●「慈礼」というコンセプト
「慈」という言葉は、他の言葉と結びつきます。たとえば、「悲」と結びついて「慈悲」となり、「愛」と結びついて「慈愛」となります。
わたしは、「慈」と「礼」を結びつけたいと考えました。すなわち、「慈礼」という新しいコンセプトを提唱したいと思います。「慇懃無礼」という言葉があるくらい、「礼」というものはどうしても形式主義に流れがち。また、その結果、心のこもっていない挨拶、お辞儀、笑顔が生れてしまいます。
「慈礼」とは、「慈しみの心」に基づく「人間尊重の形」です。逆に「慈礼」つまり「慈しみの心に基づく人間尊重の形」があれば、心のこもった挨拶、お辞儀、笑顔が可能となります。
これは、ブッダと孔子のコラボでもあり、ここにわが社の経営理念「S2M」の一つである「お客様の心に響くサービス」が実現するわけです。
ぜひ、今年からわが社は「慈礼」というものを追求していきたいと思います。
なお、わたしにとっての「慈」とは、月光のイメージであることを告白します。
満月の光のごとき慈しみ
あふるる礼をわれら与へん 庸軒