コロナ禍の中で『礼』を考える 身体は離れても心を近づけるには?
●グリーフケア制度発会式
11月4日、冠婚葬祭互助会業界のトップの経営者の方々が北九州に集結しました。まずは松柏園ホテルで、わたしが座長を務める全互協の「グリーフケアPT会議」が開催され、その後、小倉紫雲閣の大ホールに舞台を移して、「グリーフケア資格認定制度」のキックオフ・セレモニーが行われました。
上智大学グリーフケア研究所の先生方、全国の互助会各社から選び抜かれたファシリテーターのみなさんも参加されました。
冒頭、わたしが挨拶しました。わたしは、「『選ばれし者の恍惚と不安、二つ我にあり』という言葉があります。フランスの詩人ポール・ヴェルレーヌの言葉ですが、太宰治が『葉』という小説で使い、前田日明も新生UWFの旗揚げの挨拶で使いました。今日ここに集まったみなさんに、この言葉を贈りたいと思います。みなさんは、グリーフケアの時代を拓くパイオニアです。どうか、自身の大いなるミッションを果たされて下さい」と述べました。
●「人間尊重」と「礼経一致」
ファシリテーターのみなさんは、葬祭部門の花形スタッフばかりということもあり、とにかく礼儀正しい方が多かったです。冠婚葬祭の基本は、なんといっても「礼」です。
「PHP」11月号の「私の信条」というコーナーに、わたしが登場しました。インタビュー取材の中で、わたしは、PHPの創設者である松下幸之助の「礼は人の道である」という言葉を挙げて、わが社のミッションである「人間尊重」について語りました。
わたしは日頃から「礼経一致」の精神を大事にしたいと考えていますが、「経営の神様」といわれた松下翁も「礼」を最重要視していました。彼は、世界中すべての国民民族が、言葉は違うがみな同じように礼を言い、挨拶をすることを不思議に思いながらも、それを人間としての自然の姿、人間的行為であるとしました。すなわち礼とは「人の道」であるとしたのです。
●礼は「人の道」である!
そもそも無限といってよいほどの生命の中から人間として誕生したこと、そして万物の存在のおかげで自分が生きていることを思うところから、おのずと感謝の気持ち、「礼」の気持ちを持たなければならないと人間は感じたのではないかと松下翁は推測します。
ところが、最近になってその人間的行為である「礼」が、なにやら実際には行われなくなってきました。挨拶もしなければ、感謝もしない。価値観の多様化のせいでしょうか。
しかし、礼は価値観がどんなに変わろうが、人の道、「人間の証明」です。それにもかかわらず、お礼は言いたくない、挨拶はしたくないという者がいます。
松下翁は、「礼とは、そのような好みの問題ではない。自分が人間であることを表明するか、猿であるかを表明する、きわめて重要な行為なのである」と説きました。
ましてや経営や組織で1つの目的に向かって共同作業をするとすれば、当然、その経営、組織の中で互いに礼を尽くさなければなりません。挨拶ができないとか、感謝の意を表わすことができないというのであれば、その社員は猿に等しいと言えます。
●礼のグローバルスタンダード
松下幸之助はさらに言います。
礼とは、素直な心になって感謝と敬愛を表する態度である。商いや経営もまた人間の営みである以上、人間としての正しさに沿って行なわれるべきであることを忘れてはなりません。礼は人の道であるとともに、商い、経営もまた礼の道に即していなければならないのです。礼の道に即して発展してこそ、真の発展なのです。
70年間で実に7兆円の世界企業を築き上げ、ある意味で戦後最大の、というよりも近代日本で最大の経営者といえる松下幸之助翁が最も重んじていたものが人の道としての「礼」と知り、わたしは非常に感動しました。
コロナ禍の中にあって、わたしは改めて「礼」というものを考え直しています。特に「ソーシャルディスタンス」と「礼」の関係に注目し、相手と接触せずにお辞儀などによって敬意を表すことのできる小笠原流礼法が「礼儀正しさ」におけるグローバルスタンダードにならないかなどと考えています。
●儀式の時代が再来する!
コロナ禍のいま、冠婚葬祭は制約が多く、ままならない部分もあります。身体的距離は離れていても心を近づけるにはどうすればいいかというのは、この業界の課題でもあります。感染症に関する書物を読むと、世界史を変えたパンデミックでは、遺体の扱われ方も凄惨でした。14世紀のペストでは、死体に近寄れず、穴を掘って遺体を埋めて燃やしていたのです。15世紀にコロンブスが新大陸を発見した後、インカ文明やアステカ文明が滅びたのは天然痘の爆発的な広がりで、遺体は放置されたままでした。
20世紀のスペイン風邪でも、大戦が同時進行中だったこともあり、遺体がぞんざいな扱いを受ける光景が、欧州の各地で見られました。もう人間尊重からかけ離れた行ないです。その反動で、感染が収まると葬儀というものが重要視されていきます。人々の後悔や悲しみ、罪悪感が高まっていったのだと推測されます。コロナ禍が収まれば、もう一度心豊かに儀式を行う時代が必ず来ます。そのためにもいま一度、礼と人間尊重の心を養っておかねばなりません。
「礼経一致」に基づくサンレーの企業姿勢は正しいと信じています。コロナ禍で、冠婚葬祭が変わることはあっても、冠婚葬祭はなくなりません。コロナ禍の時代にあっても、いやコロナ禍だからこそ、さらに「天下布礼」を進めていきましょう!
ひとびとの身(み)と身離るるコロナの世
心近づくかたち求めん 庸軒