エンドオブライフからグリーフへ すべてをケアする互助会でありたい!
●エンドオブライフケア発表
10月13日、わたしは金沢にいました。
その日、金沢歌劇座で開催される「一般社団法人 日本エンドオブライフケア学会」の学術集会で発表したのです。
同学会は、終末期の生と死の問題は医療中心の医療モデルから、その人の住まう地域(コミュニティ)でどう生活するかを中心に据えた生活支援・家族支援を含む生活モデル(Care & Comfort)を重視し、医療と生活を統合するケア(Integrated Care)へと移行していく社会的背景を踏まえ、「すべての人に人権として質の高い(生命・生活・人生の価値を高める)エンドオブライフケアを実現すること」を目的とした学会です。
今回の学会のメインテーマは「悲しみに寄りそうエンドオブライフケア-最期の日々を過ごす人と看取る人々とともに生きるために」でした。わたしは学術集会長の浅見洋先生からの依頼で参加しました。浅見先生は、西田幾多郎記念哲学館の館長です。学術集会で発表するのは学者や医療関係者ばかりで、わたしのような冠婚葬祭業者は初めてとのことでした。
●葬儀とグリーフケア
わたしの演題は「葬儀とグリーフケア~悲縁をつなぐ取り組み~」でした。わたしは、「本日は『葬儀とグリーフケア』というテーマですが、じつは、9月20日に父を亡くしました。『死は不幸ではない』というのがわたしの信条です。しかし実際に父親を失ってみると、やはり寂しいものですね。『親』というのは、その字のごとく自分にとって最も親しい存在です。そんな親を亡くした寂しさはけっして不幸ではありませんが、心の奥底に残るものです」と述べました。
葬儀後も故人の法要が七日ごとに行われていますが、「葬儀や法要は優れたグリーフケアの文化装置である」ということを痛感しています。また、四十九日を迎える前に、「葬儀とグリーフケア」についての発表の場を与えていただいたことに不思議な御縁を感じました。
わたしたちの人生とは喪失の連続であり、それによって多くの悲嘆が生まれていきます。今年1月1日に発生した能登半島地震、あるいは九月の奥能登豪雨において、家を失い、財産を失い、家族や友人を失うという、いわば多重喪失者となった被災者の方々が多く見受けられました。
●現代日本とグリーフケア
数ある悲嘆のなかでも「愛する人の喪失」による悲嘆は計り知れず、グリーフケアとはこの大きな悲しみを少しでも小さくするためにあります。
かつての日本社会には、大切なものを失った悲しみを癒してくれる環境がありました。天涯孤独で身寄りのない人や、何らかの事情で親類から絶縁された人などが、豊かな人間関係に裏付けされた同じ地域に住む人同士の「地縁」によって支えられてきたのです。
しかし、現代においては孤立・孤独者が1千万人の時代であることから、社会の無縁化がさらに進行していることが分かります。家族の絆は断ち切られ、「血縁」も「地縁」も希薄化が進み、日本社会は「無縁社会」と呼ばれるまでになってしまいました。直葬や家族葬など葬儀の簡素化に拍車がかかり、人と人との絆や縁の再生とともに死別の悲嘆をケアする場や仕組みの再構築が喫緊の課題とされています。
●葬儀を行うことの意味
本来、葬儀という営みは人類にとって必要なものであり、故人の魂を送ることはもちろんですが、葬儀は残された人々の魂にも生きるエネルギーを与えるものです。もし、葬儀を行わなければ、配偶者や子ども、家族の死によって遺族の心には大きな穴が開き、おそらく自死の連鎖が起きます。
葬儀という営みをやめれば人が人でなくなります。葬儀という「かたち」には人間の「こころ」を守り、人類の滅亡を防ぐ知恵であるのです。日本の仏式葬儀における一連の死者儀礼のプロセスが、遺族に「あきらめ」と「訣別」をもたらし、死別の悲嘆を癒すグリーフケアの文化装置となっているのです。
わたしは、多くの愛する人を亡くされた方の悲嘆を目にするたびに「悲嘆のなかにいるご遺族に何かしら心のケアをできないだろうか」と考え、グリーフケア・サポートのための会員組織であるご遺族の会「月あかりの会」を発足しました。そして、葬儀業界におけるグリーフケアの資格認定制度をプロジェクトメンバーの座長として立ち上げ、現在は全国に1千名を超えるグリーフケア士、32名の上級グリーフケア士が誕生しております。
●能登半島での「月への送魂」
日本エンドオブライフケア学会の学術集会では、葬送儀礼がいかにグリーフケアの重要な役割を担っているかということをお伝えしながら、わが社が実践している「隣人祭り」や「月への送魂」といった「悲縁」を繋ぐ取り組みも紹介しました。わが社とも縁の深い金沢で「葬儀」と「グリーフケア」についての講演ができて感無量でした。
翌14日は、能登半島の珠洲市を訪れ、能登半島地震および奥能登豪雨の犠牲者の方々の鎮魂の儀式として珠洲にある「ラポルトすず」の中庭で「月への送魂」を行いました。
古代人たちは「月は死者の向かう場所」と考えましたが、能登半島の夜空に浮かぶ月が佐久間名誉会長の顔に見えました。わたしは霊座(レイザー)光線が月に届く光景を見上げながら、天に向かって合掌しました。
金沢での学術発表、珠洲での「月への送魂」、わが社はエンドオブライフからグリーフまで、人生のあらゆるケアに関わる企業でありたいと思います。
父逝きて行くべき月ぞ輝けり
能登半島に光そそぎて 庸軒