喜びも悲しみも分かち合える 互助共生社会を実現しよう!
●北陸で「月あかりの会」が発足
葬儀後の遺族の会であり、グリーフケアの自助グループである「月あかりの会」が北九州に続いて、北陸でも発足しました。昨年12月16日、リニューアルされたばかりの金沢紫雲閣で、サンレー紫雲閣で葬儀をされたご遺族を中心に「月あかりの会」の発会式が行われました。
当日の様子は「北國新聞」をはじめ、民放テレビ局四社からも大きく報道され、素晴らしいスタートを切ることができました。わたしは、「北陸でも、グリーフケアの時代が幕を開いた!」と実感しました。
まずは、10時から合同慰霊祭が行われました。愛する人を亡くされた方々が約200人集まって下さいました。合同慰霊祭は開式、故人様のご芳名のスライド上映、黙祷(禮鐘の儀)、追悼の言葉、献花。合同慰霊祭では、故人を偲ぶ追悼と供養のセレモニーが粛々と行われました。献花では、わたしも心を込めて献花をさせていただきました。
●「悲縁」という新しい縁
最後は主催者を代表して、わたしが挨拶しました。わたしは、「今ここには親御さんを亡くされた方、ご兄弟を亡くされた方、配偶者を亡くされた方、そしてお子様を亡くされた方・・・大切なご家族を亡くすという経験をされた皆様にご参加いただいております。わたしたちの人生とはさまざまな喪失の連続であり、その喪失により多くの悲嘆が生まれますが、その中でも『愛する人を亡くす』という悲嘆はもっとも大きいものといわれています」と述べました。
続けて、わたしは「現代社会では、核家族化や地域社会でのつながりの弱体化によって、地縁や血縁が薄れ、悲嘆を抱える方を支える場、ケアの場が少なくなっています。いま、人と人の絆や縁の再生とともに、死別の悲嘆をケアする場や仕組みの再構築が喫緊の課題とされています。そこで、わたしたちは、深い悲嘆を抱く方の心が少しでも軽くなるお手伝いをすることを使命と考え、2010年に北九州にてご遺族の会『 月あかりの会』を発足しました。『愛する人を亡くす』という同じ境遇を持つ方が集い、悲しみによって新しい縁が生み出されており、それを悲しみが繋ぐ縁としての『悲縁』と呼んでいます」と述べました。
●グリーフケアの2つの目的
それから、わたしは「『わたし』から『わたしたち』へ。新たな縁を生み出し、相手を支えることで、自分も相手から支えられるグリーフケア・サポートとしての『月あかりの会』を、本日この北陸の地で発足できたことは感無量でございます。今後とも様々な活動を通じて、喜びも悲しみもともに分かち合い、寄り添い合う社会をつくるお手伝いとなればと思っています。本日は誠にありがとうございました」と述べました。
続けて、東京大学名誉教授で宗教学者の島薗進先生とのトークショーが行われました。金沢との縁の深い島薗先生は上智大学グリーフケア研究所の元所長であり、わたしは客員教授時代に大変お世話になりました。島薗先生とは「宗教」についての対談本を出す予定です。
超満員となったトークショーでも、わたしは「悲縁」について話しました。まず、「グリーフケアには死別の悲嘆を癒すということだけでなく、死の不安を軽減するというもう一つの目的があります」と述べました。
●「わたし」から「わたしたち」へ
超高齢社会の現在、多くのお年寄りが「死ぬのが怖い」と感じていたら、こんな不幸なことはありません。死生観を持ち、死を受け入れる心構えをもっていることが、心の豊かさではないでしょうか。人間は死の恐怖を乗り越えるために、哲学・芸術・宗教といったものを発明し、育ててきました。グリーフケアには、この哲学・芸術・宗教が「死別の悲嘆を癒す」「死の不安を乗り越える」ということにおいて統合され、再編成されていると思います。
そして、互助共生社会のスローガンは、『「わたし」から「わたしたち」へ』であり、「喜びも悲しみも、ともに分かち合う社会へ」です。この言葉は、「北國新聞」に数回にわたって掲載された広告でもキャッチコピーとして使われました。
すると、思いもしなかった現象が起きました。新聞広告を見た多くの方々から「わたしも『月あかりの会』に入れてほしい」との連絡が相次いだのです。
中には、「サンレーさん以外の会社の施設で葬儀をあげた者ですが、どうか入会させていただきたい」という方もいました。わたしは、「これこそ、互助共生社会の幕開けではないか」と思いました。
●そして互助共生社会へ
わが社の企業活動は「サンレー・アンビション・プロジェクト(SAP)」としてまとめられていますが、その大きな目的の一つに「有縁社会の再生」があります。
そのためにはグリーフケアの「悲縁」だけでなく、笑いの会を通じての「笑縁」や、日王の湯での「湯縁」、さらには囲碁大会での「碁縁」、俳句での「句縁」、グランドゴルフやゲートボールでの「球縁」、バスハイクなどの「旅縁」、読書を通じた「読縁」、映画鑑賞を通じた「映縁」、カラオケ大会の「歌縁」といった、さまざまな趣味の縁の構築が求められます。これらを総称して、わたしは「好縁」と呼んでいます。
「無縁社会」などと呼ばれ、血縁と地縁の希薄化が目立つ昨今です。人間は一人では生きていけません。「無縁社会」を超えて「有縁社会」を再生させるためには、血縁や地縁以外のさまざまな縁を見つけ、育てていく必要があります。それが、そのまま「互助共生社会」へと繋がってゆくのです。
人はみな無縁にあらず
喜びと悲しみ分かち 縁を繋がん 庸軒