マンスリーメッセージ サンレーグループ社員へのメッセージ 『Ray!』掲載 2019.12

ローマ教皇来日 キリスト教の大いなる愛を知る!

●ローマ教皇の来日
11月23日、ローマ教皇フランシスコが来日されました。24日午前には長崎市の爆心地公園、同日午後には広島平和記念公園を訪問。つねづね核兵器の廃絶を訴えてきた教皇ですが、広島・長崎では、「人類の歴史において核兵器による破壊が二度と行われないよう、皆さんとともに祈ります」と被爆地の人々へ語りかけました。
25日は東京都内で東日本大震災の被災者や東京電力福島第一原発事故の避難者らと対話。同日午後には東京ドームでの5万人参加の大規模ミサを行いました。
教皇は天皇陛下や安倍晋三首相との会見も行いましたが、最終日の26日の午前中は、わたしが客員教授を務める上智大学を訪問しました。同大学がイエズス会の日本総本部である関係からです。世界に約13億人の信者がいるカトリックの最高指導者である教皇の来日は、1981年のヨハネ・パウロ2世以来38年ぶりとなりました。

●クリスマスとキリスト教の葬儀
ローマ教皇とは、イエス・キリストの教えを守り、伝えている方ですが、12月にはイエスの生誕祭とされているクリスマスがあります。クリスマスの正体は、日本のお盆にも似て、死者をもてなす祭りです。クリスマス・イヴの晩餐とは、もともと死者に捧げられた食事であり、この食卓では招待客が死者で、子どもたちは天使の役目を果たしているのです。天使たち自身も、死者であることを忘れてはなりません。子どもたちが死者の代理人として大人の家庭を訪ね歩く習慣は、アメリカのハロウィーンに受け継がれました。
あらためてキリスト教とは「死」の宗教であるという印象ですが、当然ながらキリスト教は西洋の葬儀の歴史において絶大な存在感を示してきました。そして、人々に天国のイメージを自然に連想させました。
キリスト教は「死」を不幸とはせず、悲しみとさえせず、ただ神のみもとに帰る「帰天」という考え方を持っています。

●死者に対する「礼」
ポジティブな「帰天」の思想に基づいて、キリスト教の葬儀も執り行われます。ですから、キリスト教の葬儀は暗くありません。
日本で一般的に行われる仏式の葬儀では、焼香の後で清め塩を受け、衣服や靴などにふりかけます。亡骸に接したことで穢れた自分を清めるという、神道につながる考え方です。この習俗には、わたしなども違和感があるのですが、キリスト教信仰を持つ人から見ると、かなりためらいを覚えるようです。
理由は、第一に死者に対する「礼」を失していることです。息絶えて現世との連絡が絶たれた瞬間から、穢れた者として扱われるのはどうしたことか。特に家族や親しい者、愛する者であれば、やりきれません。キリスト者たちいわく、これではまさに「浮かばれない」。ここで思い出すのは『古事記』の、死んで黄泉に下ったイザナミの穢れた姿であり、追いかけて行ったイザナギが恐怖のあまり逃げ帰るほどの、あの不気味さです。

●「穢れ」と「原罪」
2番目の理由は、塩で穢れを落とすという気持ちの処理の仕方です。問題は、穢れが外部から付着し、ほこりを払うように簡単に落とせるという意識です。
キリスト教では、外部からの穢れではなく内部の罪を問題にします。つまり払い落とせるような生易しいものではなく、心の内側にカビか水虫のように住み着いている手強い相手、それが罪であるというのです。
原罪意識はネガティブ思考にもつながります。わたしには納得できませんが、塩で清める行為が死者への礼を失しているという指摘には全面的に賛成です。今後の日本人のポジティブな葬儀において、キリスト教的発想は大いに参考になると思います。
言うまでもなくキリスト教は世界最大の宗教です。イスラム教、仏教とともに世界三大宗教と呼ばれますが、信者数はキリスト教がもっとも多く19億、最近増加著しいイスラム教が12億、仏教が3億5千万です。
わが国では、結婚式やミッション・スクール以外は、キリスト教の布教自体は不振です。鎖国時代は致し方ないとしても、明治6年のキリシタン禁制高札撤去から145年たって、いまだに信徒数は100万ちょっとで、人口比は約1%ぐらいです。

●「天」という共通概念
一方、お隣の韓国を見ると、わが国とは大違いで、約30%です。この30年間で大幅に信徒が増えたそうですが、同じ漢字文化圏に属しながら1%と30%、この違いはどこから来たのでしょうか。
いろんな理由が考えられますが、1つにはキリスト教から見て「入りやすさ」の違いがあったのではないかと言われます。
韓国は伝統的な宗教風土として儒教の影響が強いことが知られています。儒教の衰退と入れ代わりに近代化とともにキリスト教が入ってきました。儒教とキリスト教はいずれも「天」という共通の概念を持っていたがゆえに、スムースに交代が行なわれたのではないかという見方があります。
日本には何があったかというと、古神道に代表されるアニミズムです。自然界のあらゆる事物を霊的存在とみなす宗教観で、キリスト教とは到底かみ合いません。アニミズムに「天」は存在せず、「天」の文字は古代から天皇という最高権力者のものでした。
そのため日本ではキリスト教伝来の当初から「天」あるいは「天にいます神」という概念を受け取るのに苦労したのであり、キリスト教側から見れば、非常に教義が入りにくい、伝えにくい土地でした。
わたしたちは、宗教儀式をお世話する冠婚葬祭業者として、宗教についても学びたいものです。

神の子のミサに集いし人びとの
帰天の世話もわれら務めん  庸軒