すべての映画はグリーフケア映画 人工洞窟で時空を超えよう!
●『映画の観方』の刊行
4月20日、『本の読み方』と『映画の観方』(産経新聞出版)のツインブックスを刊行しました。読書も映画鑑賞も、わたしは「こころの王国」への入口であると考えていますが、先月は読書についてお話したので、今月は映画についてお話します。
わたしは、映画が大好きです。映画を観れば別の人生を生きることができますし、世界中のどんな場所にだって、いや宇宙にだって行くことができます。空間だけでなく時間も簡単に超えて、超古代から超未来にまでタイムトラベルできます。さらには、死を乗り越えることだってできます。
さらに、わたしは、「映画は、愛する人を亡くした人への贈り物」であると考えています。この言葉は、拙著『心ゆたかな映画』(現代書林)の帯のキャッチコピーです。その根底には「すべての映画は、グリーフケア映画」というわたしの考えが流れています。
●すべてグリーフケア映画?
映画を観ると登場人物に感情移入し、不安定な「こころ」が一時的に落ち着きます。そして観終わったときに登場人物が自分の「こころ」に影響を与えていることを感じます。それがその人なりの「前向き」であればこんなに良いことはありません。映画を観ると、さまざまな考え方や感情が浮かんできます。これは自分の「こころ」の中から出てきた自分だけのものです。このことを考えると映画を観ることは、まさにグリーフケアです。
わたしは映画を含む動画撮影技術が生まれた根源には人間の「不死への憧れ」があると考えます。写真は、その瞬間を「封印」するという意味において、一般に「時間を殺す芸術」と呼ばれます。一方で、動画は「時間を生け捕りにする芸術」であると言えるでしょう。かけがえのない時間をそのまま「保存」するからです。「時間を保存する」ということは「時間を超越する」ことにつながり、さらには「死すべき運命から自由になる」ことに通じます。そう、写真が「死」のメディアなら、映画は「不死」のメディアなのです。
●映画で死者と再会する
映画が「不死」のメディアであるからこそ映画の誕生以来、時間を超える物語を描いたタイムトラベル映画が無数に作られてきたのでしょう。そして、時間を超越するタイムトラベルを夢見る背景には、現在はもう存在していない死者に会うという大きな目的があるのではないでしょうか。
わたしは、すべての人間の文化の根底には「死者との交流」という目的があると考えています。そして、映画そのものが「死者との再会」という人類普遍の願いを実現するメディアでもあると思います。
そんな考えを拙著『死を乗り越える映画ガイド』(現代書林)で示しました。その後も、わたしはたくさんの映画を観ました。すると、どんな映画を観ても、グリーフケアの映画だと思えてきたのです。
ジャンルを問わず、どんな映画にも死者の存在があり、死別の悲嘆の中にある登場人物があり、その悲嘆がケアされる場面が出てきます。この不思議な現象の理由として、わたしは3つの可能性を考えました。
●アリストテレスのカタルシス理論
1つは、わたしの思い込み。2つめは、映画に限らず物語というのは基本的にグリーフケアの構造を持っているということ。3つめは、実際にグリーフケアをテーマとした映画が増えているということです。
わたしが何の映画を観てもグリーフケアの映画に思えるということを知った宗教哲学者の鎌田東二先生からメールが届きました。それによれば、何を見ても「グリーフケア」に見えるというのは、思い込みや思い違いではなく、どんな映画や物語にも「グリーフケア」の要素があるとか。
古代ギリシャの哲学者アリストテレスは『詩学』第6章で、「悲劇」を「悲劇の機能は観客に憐憫と恐怖とを引き起こして,この種の感情のカタルシスを達成することにある」と規定しましたが、この「カタルシス」機能は「グリーフケア」の機能でもあるというのです。しかし、アリストテレスが言う「悲劇」だけでなく、「喜劇」も「音楽」もみな、「カタルシス」効果を持っているので、すべてが「グリーフケア」となり得る。そのような考えを知りました。
●人工洞窟での臨死体験
時間を超越するタイムトラベルを夢見る背景には、現在はもう存在していない死者に会うという大きな目的があると述べました。ならば、映画鑑賞とは死者と再会する儀式なのかもしれません。というのも、古代の宗教儀式は洞窟の中で生まれたという説があります。
洞窟も映画館も暗闇の世界です。暗闇の世界の中に入っていくためにはオープニング・ロゴという儀式、そして暗闇から出て現実世界に戻るにはエンドロールという儀式が必要とされるのかもしれません。
そして、映画館という人工洞窟の内部において、わたしたちは臨死体験をします。なぜなら、映画館の中で闇を見るのではなく、わたしたち自身が闇の中からスクリーンに映し出される光を見るからです。
闇とは「死」の世界であり、光とは「生」の世界です。つまり、闇から光を見るというのは、死者が生者の世界を覗き見るという行為にほかならないのです。つまり、映画館に入るたびに、観客は死の世界に足を踏み入れ、臨死体験するわけです。わたし自身、映画館で映画を観るたびに、死ぬのが怖くなくなる感覚を得るのですが、それもそのはず。わたしは、映画館を訪れるたびに死者となっているのでした。みなさんも映画を観て、心の平安を得て下さい。
暗闇の中より覗く光には
生を夢見るシネマの願ひ 庸軒