混ざりあった日本人の心 二宮尊徳の唱えた天道を知ろう!
●炭治郎と金次郎
今年1月に上梓した『「鬼滅の刃」に学ぶ』(現代書林)がおかげさまで好評ですが、その中でも「鬼滅の刃」が日本人の「こころ」の奥底に触れたために社会現象にまで発展する大ブームになったという部分に共感してくれた読者が多かったようです。
そして、わたしは「鬼滅の刃」の主人公である竈門炭治郎には日本人の「こころ」を支える三本柱である神道・儒教・仏教の精神が宿っており、二宮金次郎のイメージに重なると書いたのですが、大きな反響がありました。妹の禰豆子を背負う炭治郎の姿は薪を背負って読書する金次郎の姿を連想させますが、外見的に似ているだけではなく、金次郎もまた神道・儒教・仏教の精神を宿した人でした。
二宮金次郎は、戦前の国定教科書に勤勉・倹約・孝行・奉仕の模範として載せられ、全国の国民学校の校庭には薪を背負い本を読む銅像が作られました。わたしの書斎には、尊徳の銅像のミニチュアが鎮座しています。
●代表的日本人・二宮尊徳
金次郎は長じて、尊徳と名乗りました。幕末期に、農民の出身でありながら、荒れ果てた農村や諸藩の再建に見事に成功させた人物として知られます。
内村鑑三が名著『代表的日本人』の中で、西郷隆盛、上杉鷹山、中江藤樹、日蓮と並んで二宮尊徳を取り上げていますが、慶應義塾を創始した啓蒙主義者の福澤諭吉、日本民俗学の父である柳田國男、二度もノーベル賞候補になったキリスト教社会運動家の賀川豊彦などの明治以降、近代日本を創り上げていった人々が尊徳を「師」と仰ぎました。先月紹介した渋沢栄一をはじめ、安田善次郎、御木本幸吉、豊田佐吉、松下幸之助、土光敏夫といった偉大な成功者たちも、みな尊徳を信奉していました。さらには、戦後進駐してきたGHQの高官も尊徳を「真の自由主義者」と激賞しています。彼は人々の心を燃え立たせる徳の人であると同時に、世界に先駆けてマイクロクレジットの仕組みを生み出した創意工夫の人でもありました。
●世界に誇りうる大思想家
『教養として知っておきたい二宮尊徳』を書いた松沢成文氏は、尊徳が唱えた「報徳の道」について以下のように述べます。
「天地万物にはそれぞれ固有の徳が備わっていることを認識していた尊徳は、人間社会は天地万物の徳が相和することによって成り立ち、自己が生存できるのもそのおかげであると考えた。そのことに感謝の念を持ち、自己の徳を発揮するとともに、他者の徳も見出し、それを引き出すように努め、万人の幸福と社会・国家の繁栄に貢献すること、これが尊徳の考える『報徳の道』である」
尊徳は、「勤倹・分度・推譲」の思想を唱え、600以上の大名旗本の財政再建および農村の復興事業に携わりました。彼は同時代のヘーゲルにも比較しうる弁証法を駆使した哲学者であり、ドラッカーの先達的な経営学者でもありました。そう、二宮尊徳は日本が世界に誇りうる大思想家だったのです。
●時代の先を行く「未来人」
尊徳は自らの実践を通じて「至誠」「勤労」「分度」「推譲」「積小為大」「一円融合」などの改革理念や思想哲学を生み出し、人々を導いてきました。これらの教えは、日本人の社会規範や道徳としての精神的価値の基盤になっています。
尊徳ほど、独創的な考え方や創造的な生き方を通じて社会を変革した人はいないと言っても過言ではなく、松沢氏は「尊徳の生きざまや思想を学ぶことは、混迷を続ける世相の中、わたしたちが日常の家庭や職場、地域社会で生きていく上で、あるいは日本や国際社会にとっても、有益な指針を得ることになるはずである」と述べています。
尊徳がやったことは、経営学の祖・シュンペータやドラッカーのいうところの個々の事例に即した問題発見と問題解決の手法にほかなりませんでした。江戸時代の後期という時代にすでに、現代経営学が編み出した手法を実践していたのですから、尊徳は時代のはるか先を行っている「未来人」だったのです。
●心学から天道へ
その尊徳は、石田梅岩が開いた「心学」の流れを受け継ぎました。心学の特徴は、神道・儒教・仏教を等しく「こころ」の教えとしていることです。日本には土着の先祖崇拝に基づく神道がありました。中国で孔子が開いた儒教、インドでブッダが開いた仏教も日本に入ってきました。しかし心学では、この3つの教えのどれにも偏せず、自分の「心を磨く」ということを重要視したのです。
尊徳の代表作である『二宮翁夜話』には、「神道は開国の道、儒教は治国の道、仏教は治心の道である。わたしはいたずらに高尚を尊重せず、また卑近になることを嫌わずに、この三道の正味だけを取ったのである。正味とは人間界に大事なことを言う。大事なことを取り、大事でないことを捨て、人間界で他にはない最高の教えを立てた。これを『報徳教』という。遊び心から『神儒仏正味一粒丸』という名前をつけてみた。その効用は広大で数えきることができないほどである」と書かれています。
尊徳は、常に「人道」のみならず「天道」を意識し、大いなる「太陽の徳」を説きました。それは大慈大悲の万物を慈しむ心であり、尊徳の「無利息貸付の法」も、この徳の実践でした。その尊徳の心の中心にあった「天道」の名を冠した研修施設が、北九州市小倉の上富野にある「天道館」です。
現在、天道館では、ご近所の皆様が気軽に集える「公民館」や「市民センター」のような施設として、ご利用いただいています。わたしたちは、「天道」をつねに意識しながら、「天下布礼」に励みたいものです。
神の道 仏の道に 人の道
道を統(す)べるは天の道なり 庸軒