神道は日本人の心の柱 「あっぱれ」と「あはれ」を知ろう!
●『古事記と冠婚葬祭』の刊行
11月は七五三で、各地の神社も賑わったことだと思います。そんな中、21日に宗教哲学者で京都大学名誉教授の鎌田東二先生とわたしの対談本である『古事記と冠婚葬祭』(現代書林)が刊行されました。同書には「神道と日本人」というサブタイトルがついていますが、鎌田先生は神道研究の第一人者であり、神主の資格も持っておられます。鎌田先生は、対談の中で「さし昇ってくる朝日に手を合わす。森の主の住む大きな楠にも手を合わす。台風にも火山の噴火にも大地震にも、自然が与える偉大な力を感じとって手を合わす心。どれだけ科学技術が発達したとしても、火山の噴火や地震が起こるのをなくすことはできません。それは地球という、この自然の営みのリズムそのものの発動だからです。その地球の律動の現れに対する深い畏怖の念を、神道も、またあらゆるネイティブな文化も持っています。ネイティブ・アメリカンはそれをグレート・スピリット、自然の大霊といい、神道ではそれを『八百万の神々』といいます」と述べられました。
●龍の出現とグレート・スピリット
わたしは、10月24日の早朝、社員旅行先の別府湾で日の出を拝みました。なんと、そのとき、朝日の真上に龍が出現しました。感動しました。自然科学が発達していなかった頃、古代人たちはこうやって龍を見て、神を感じたに違いないと思いました。まさに、そこには「グレート・スピリット」がありました。
神道というのは日本だけでなく、この地球上に遍在するものです。民俗学者の折口信夫が太平洋戦争での敗戦時に述べた「人類教としての神道」という言葉がありますが、おそらくはそういった意味のように思えます。
もうすぐ正月ですが、日本人は正月になると門松を立て、雑煮を食べ、子どもたちにお年玉を渡します。ここには日本人にインプットされた神道のデータが作用しているのではないでしょうか。伊勢神宮の心御柱にならって言えば、神道は日本人の「こころ」の柱となっているのです。
●神道と祭り
神道といえば、祭りと切っても切り離せません。祭りとは、神々と自然と人々との交歓によって、大なる循環と調和を導く民衆的知恵と生活技術です。それは、魂の力をもって、平和と平安と幸福を招き入れるワザヲギであり、何モノか神聖なる存在、つまり神の訪れを待つところから始まります。
それは、深い「耳のそばだて」、傾聴の姿勢を必要とします。神々や自然や先祖の声に慎しみ深く耳を傾け、その場に到来するものを待ち受けること、そしてそこに到来した大いなるモノに心からの感謝の供え物を奉り、大いなる存在の「声」に従い、讃え、調和と美と喜びをもたらすこと、それが「祭り」だというのです。
こうした「祭り」の中で、聴こえてきた声と身振りのかたちが、やがて「神楽(かぐら)」という芸能文化となります。日本の芸能文化の始まりは「天の岩屋戸の神事」に発するとされています。舞い踊るアメノウズメノミコトの姿を見て神々は楽しくなり、口々に、「天晴れ、あな面白、あな楽し、あなさやけ、おけ!」と歓び叫びました。
ここに「神道」の真髄があります。
●「あっぱれ」と「あはれ」
鎌田先生によれば、神道とは、この「天晴(あっぱ)れ、面白、楽し」を生き方の根本に据えていく道です。「天晴れ」とは、今まで曇って真っ暗だった状態から天が晴れること、つまり「いのち」の源の開放である。「面白」は、そのときに聖なる光が射してきて、顔の面が白くなること。「楽し」とは、光を受けて体が自然に踊りスイングすること。「さやけ」とは、神や人間だけではなく、笹がサヤサヤと一緒になって震えること。「おけ」とは、木の葉が一緒になって震えること。
こういう宇宙的調和的状態を実現するのが「祭り」であり、「神楽」であり「芸能」であるといいます。「神楽」とは、神と共に、自然の草木までが一緒になって震え歓ぶ歓喜の時間です。そういう行為と状態を、古語で「タマフリ」とも「タマシヅメ」とも「ワザヲギ」とも呼びました。
「タマフリ」とは魂を奮い立たせることであり、「タマシヅメ」とは魂を鎮めること、また「ワザヲギ」とはその魂を招き寄せ、エンパワーメントしていくこと。こうして、「祭り」のワザが実現します。
●ウェルビーイングとコンパッション
現在のわが社のメインテーマは「ウェルビーイング」と「コンパッション」の2つですが、鎌田先生は神道的に見ると、ウェルビーイングとは「あっぱれ」であり、コンパッションとは「あはれ」であると言われました。
『古語拾遺』という斎部氏の伝承を書いた本には、この「神懸り」の際に、神々が大いに喜び踊り、口々に「あはれ、あなおもしろ、あなたのし、あなさやけ、おけ」と囃したと記されています。そこで、「あはれ」とは「天晴(あっぱ)れ」、天が晴れて光が差し込み、世界が明るくなることだと書かれています。
これは「鎮魂」や「神楽」の起源を語る神話とされていますが、それは、太陽の死と復活と、笑いによる生命力の更新を象徴している。神懸りと笑いによる「招福攘災」、すなわち「岩戸開き」の業こそが「俳優」であり、彼が岩戸を開くことによってこの世に太陽光を戻し、「天晴れ」を実現します。そこから、「あはれ」が派生していくのです。
ウェルビーイングとは「あっぱれ」で、コンパッションとは「あはれ」である。そして、そのどちらも太陽光(SUNRAY)と深く関わっています。すべてがわが社の理念や活動と一糸の矛盾もなく繋がっていると悟りました。
天晴(あっぱ)れと祝ふ心は神の道
あはれと泣ける心も神へ 庸軒