儀式力を身につけ 葬式は必要と言われよう!
●会社儀礼としての入社式
4月です。今年も新しいサンレーマン、サンレーウーマンを迎えることができて、大変うれしく思います。
4月1日は、例年通りに会社儀礼としての入社式を行いました。会社が主催する儀式や行事といえば、その他にも、創立記念式典などがあります。毎日の朝礼や総合朝礼なども、立派な会社儀礼です。
また、会社のトップが亡くなれば、社葬が開かれます。葬儀とは本来は旅立ちの儀式です。でも社葬においては、故人の旅立ちという側面よりも、むしろ会社としての別れという側面が大きいでしょう。
社葬は「死」と「再生」のセレモニーです。社葬によって、一度死んだ会社は再生するのです。
●葬儀のもつ四つの役割
儀式とは何か。日本人の離婚が増加しているのも、新郎新婦の魂を結びつける儀式である「結納」をおろそかにしてきたことが原因の一つだと思います。小笠原流礼法では結び方というものを重視します。ハウスウェディングがチョウチョ結びだとしたら、結納式は固結びかもしれません。
いま、『葬式は、要らない』という本が非常に売れて話題になっています。わたしは、早速、『葬式は必要!』という本を書きました。今こそ、葬式の持つ深い意味を知らなければなりません。
葬儀には、四つの役割があるとされています。それは、社会的な処理、遺体の処理、霊魂の処理、そして、悲しみの処理です。
悲しみの処理とは、遺族など生者のためのものです。残された人々の深い悲しみや愛惜の念を、どのように癒していくかという処理法のことです。
通夜、告別式、その後の法要などの一連の行事が、遺族に「あきらめ」と「決別」をもたらしてくれます。
●「かたち」には「ちから」がある
愛する人を亡くした人の心は不安定に揺れ動いています。しかし、そこに儀式というしっかりした「かたち」のあるものが押し当てられると、不安が癒されていきます。
親しい人間が死去する。その人が消えていくことによる、これからの不安。残された人は、このような不安を抱えて数日間を過ごさなければなりません。心が動揺していて矛盾を抱えているとき、この心に儀式のようなきちんとまとまった「かたち」を与えないと、人間の心にはいつまでたっても不安や執着が残るのです。
この不安や執着は、残された人の精神を壊しかねない、非常に危険な力を持っています。 この危険な時期を乗り越えるためには、動揺して不安を抱え込んでいる心に、ひとつの「かたち」を与えることが求められます。まさに、葬儀を行なう最大の意味はここにあります。
●心を安定させる物語の力
では、儀式という「かたち」はどのようにできているのかというと、「ドラマ」や「演劇」にとても似ています。死別によって動揺している人間の心を安定させるためには、死者がこの世から離れていくことをくっきりとしたドラマにして見せなければなりません。ドラマによって「かたち」が与えられると、心はその「かたち」に収まっていきます。すると、どんな悲しいことでも乗り越えていけるのです。
それは、いわば「物語」の力だと言えるでしょう。わたしたちは、毎日のように受け入れがたい現実と向き合います。
そのとき、物語の力を借りて、自分の心のかたちに合わせて現実を転換しているのかもしれません。
つまり、物語というものがあれば、人間の心はある程度は安定するものなのです。逆に、どんな物語にも収まらないような不安を抱えていると、心はいつもグラグラと揺れ動いて、愛する人の死をいつまでも引きずっていかなければなりません。
●心の大工仕事
わたしは、「葬儀というものを人類が発明しなかったら、おそらく人類は発狂して、とうの昔に絶滅していただろう」と、ことあるごとに言っています。
自分の愛する人が亡くなるということは、自分の住むこの世界の一部が欠けるということです。欠けたままの不完全な世界に住み続けることは、かならず精神の崩壊を招きます。 まさに、葬儀とは儀式によって悲しみの時間を一時的に分断し、物語の癒しによって、不完全な世界を完全な状態に戻すことに他ならないのです。
葬儀によって心にけじめをつけるとは、壊れた世界を修繕するということなのです。だから、紫雲閣のスタッフは「心の大工さん」なのです。
●この世に引き戻す儀式力
また、多くの人は、愛する人を亡くした悲しみのあまり、自分の心の内に引きこもろうとします。誰にも会いたくありません。何もしたくありませんし、一言もしゃべりたくありません。ただひたすら泣いていたいのです。
でも、そのまま数日が経過すれば、どうなるでしょうか。残された人は、本当に人前に出られなくなってしまいます。誰とも会えなくなってしまいます。
葬儀は、いかに悲しみのどん底にあろうとも、その人を人前に連れ出します。引きこもろうとする強い力を、さらに強い力で引っ張りだすのです。
葬儀の席では、参列者に挨拶をしたり、お礼の言葉を述べなければなりません。それが、残された人を「この世」に引き戻す大きな力となっているのです。
形には力があると思い知る
送る儀式が要らぬはずなし 庸軒