本当の情報時代がやって来る 日本人のこころをお世話しよう!
●こころの時代
サンレーグループの施設で施行された結婚式、葬儀の感動実話が、それぞれ『むすびびと』『最期のセレモニー』として出版され、話題を呼んでいます。
「おくりびと」に続く流行語になりつつある『むすびびと』ですが、「こころの仕事」というサブタイトルが使われています。
こころの仕事!なんと、直球ど真ん中で力強い言葉でしょうか。結婚式にしろ、葬儀にしろ、冠婚葬祭業とはまさに「こころの仕事」だと思います。
また、わたしは京大教授の鎌田東二先生とのご縁で、「京都大学こころの未来研究センター」の共同研究員を務めさせていただいています。そのため、いつも「こころ」については考え続けているつもりです。
わたしは、これからの社会は、人間の「こころ」が最大の価値を持つ社会になるのではないかと思っています。すなわち、ハートフル・ソサエティです。
●心の社会=リアル情報社会
現代は高度情報社会です。ドラッカーは、早くから社会の「情報化」を唱え、後のIT革命を予言していました。ITとは、インフォメーション・テクノロジーの略です。ITで重要なのは、I(情報)であって、T(技術)ではありません。 その情報にしても、技術、つまりコンピューターから出てくるものは過去のものにすぎません。ドラッカーは、IT革命の本当の主役はまだ現れていないと言いました。 それでは、ドラッカーのいう本当の主役、本当の情報とは何でしょうか。日本語で「情報」とは、「情」を「報(しら)」せるということです。「情」は今では「なさけ」と読むのが一般的ですが、『万葉集』などでは「こころ」と読まれています。
わが国の古代人たちが、求愛の歌、死者を悼む歌などで自らの「こころ」を報せたもの、それが『万葉集』だったのです。
すなわち、情報の「情」とは、心の働きに他なりません。本来の情報とは、心の働きを相手に報せることなのです。
わたしは『ハートフル・ソサエティ』で、「次なる社会とは心の社会である」と述べました。「心の社会」はポスト情報社会などではなく、新しい、かつ本当の意味でのリアル情報社会なのです。
●日本人の「こころ」好き
「こころ」といえば、夏目漱石の小説『こころ』を思い浮かべる人も多いでしょう。日本の近代文学を代表する名作として、いまだに人気の高い作品です。
そこで気がつくことは、日本人は「こころ」という言葉そのものが好きであるということです。「こころ」という言葉を聞くと、なんとなくホッとする。
その源流をたどると、平安時代の仏教にさかのぼります。宗教学者の山折哲雄氏によれば、日本の仏教は、最澄や空海以来、「心」を探求する道として発展したそうです。最澄の「道心」、空海の「十住心」がまさにそうでした。その伝統が鎌倉時代の道元にいたって「心身脱落」というところまでいきます。これは、修行のある時点で、心と体が一体となり透明になったということです。
最澄から道元まで、心を重視する態度は一貫しています。ここに、日本人の「こころ」好きの源流が見られるのです。
●心学とは何か
日本人の「こころ」好きを考える上で興味深いのが「心学」の存在です。心学とは、江戸中期の思想家である石田梅岩にはじまる実践哲学で、「石門(せきもん)心学」とも呼ばれます。商人を中心に普及しました。
梅岩の心学の特徴は、神道、仏教、儒教の三宗教の融合が見られることです。
もちろん、神道も仏教も儒教も、宗教です。宗教には、ふつう教義があります。しかし、心学では「最初に教義ありき」ではなく、「最初に心ありき」でした。
それゆえに、神道でも仏教でも儒教でもその他のものでも、心を磨く材料になる立派な教えさえあれば、それを使って磨けばいいという立場なのです。
心学では、人間に「こころ」があるということが第一です。この人間の「こころ」を磨くにはどうしたらいいかを考える思想が心学なのです。
●冠婚葬祭は「こころ」の仕事
日本では、心学の他にも神道・仏教・儒教の三宗教が融合した文化があります。たとえば、かつて新渡戸稲造が著書『武士道』で明らかにしたように、武士道がそうです。 また、わたしたちの仕事である冠婚葬祭がそうです。日本の葬儀は完全な仏教の儀式ではありません。そこには儒教の要素が多く入っていますし、清めの塩などの習俗は完全に神道から来ています。つまり、神道、仏教、儒教が混ざり合っているのです。
その宗教融合を最初に成し遂げた人物こそ、かの聖徳太子でした。憲法十七条や冠位十二階に見られるごとく、聖徳太子が行なった宗教における編集作業は日本人の精神的伝統となり、今日にいたるまで「冠婚葬祭」という日本人の生活習慣に生きています。冠婚葬祭とは、日本人の「こころ」そのものなのです。
日本人の「こころ」の中には、神道も仏教も儒教も息づいています。日本古代史における最重要人物でもある聖徳太子は、日本人の「こころ」そのものをデザインしたのでした。わたしたちは、太子がデザインした「こころ」をお世話する、とても尊い仕事をしているのです。
日の本の三つの教え混ざりたる
こころの世話は われらの仕事 庸軒