マンスリーメッセージ サンレーグループ社員へのメッセージ 『Ray!』掲載 2021.12

死生観の『かたち』を考える 「太陽の塔」から「月の塔」へ

●京都大学シンポジウム
11月23日、京都で「日本人と死生観」と題するシンポジウムが開催されました。会場は京都大学の稲盛財団記念館で、やまだようこ先生(ものがたり心理研究所所長・京都大学名誉教授)、鎌田東二先生(上智大学グリーフケア研究所特任教授・京都大学名誉教授)、広井良典先生(京都大学こころの未来研究センター教授)とともに、わたしも出演しました。
やまだ先生は物語研究の、鎌田先生は宗教哲学の、広井先生は定常型社会、すなわちSDGs研究の、わが国の第一人者です。わたしは儀式研究の専門家として登壇し、「死生観の『かたち』」について発表しました。
冒頭、日本人の死生観のターニング・ポイントとして、「すべては1991年から始まった」という話をしました。現代日本の葬儀に関係する諸問題や日本人の死生観の源流をたどると、1991年という年が大きな節目であったと思います。

●1991年から始まった
まさにその年、「死」と「葬」と「宗教」をめぐる多くの問題が起こりました。「死」においては、脳死問題をはじめ、安楽死、尊厳死、臨死体験と、人の死をめぐる議論がヒートアップしました。91年3月には作家立花隆氏のレポートによってNHKテレビで「臨死体験――人は死ぬ時何を見るのか」が連続放映、臨死体験ブームが起こりました。92年1月には、脳死臨調が「脳死は人の死」として臓器移植を認める最終答申を宮沢首相に提出し、さまざまな論議を呼びました。
「葬」においては、海や山などへの散灰を社会的に認知させる「自然葬」運動が誕生しました。「宗教」においては、91年1月にはオウム真理教が「救済元年」を宣言して、暴走開始。2月には創価学会が「学会葬」を開始し、11月には日蓮正宗が創価学会およびSGIを破門しています。そして、12月には幸福の科学が東京ドームにおいて第1回「エル・カンターレ祭」を開催。その他、宜保愛子というスーパースターの出現による霊能ブーム、チャネリングやヒーリングなどの精神世界ブームも忘れることはできません。

●「0葬」と「永遠葬」
それにしても、これだけの現象がわずか1年の間に集中したのです。改めて、人々の死生観を中心とした価値観が大きな地殻変動を起こし始めたということがわかります。
その後、日本人の死生観の「かたち」である葬儀は家族葬・直葬に代表されるように「薄葬」化していきました。現在の日本では、通夜も告別式もせずに火葬場に直行するという「直葬」が増えつつあります。あるいは遺灰を火葬場に捨ててくる「0葬」といったものまで注目されています。
しかしながら、「直葬」や「0葬」がいかに危険な思想を孕んでいるかを知らなければなりません。葬儀を行わずに遺体を焼却するという行為は「礼」すなわち「人間尊重」に最も反するものです。そこで、わたしは「永遠葬」を打ち出しました。「人は永遠に供養される」という意味です。日本仏教の特徴の一つに、一連の法要があります。初七日から百ヶ日の忌日法要、一周忌から五十回忌までの年忌法要です。

●葬儀は「不死」のセレモニー
五十回忌で「弔い上げ」を行った場合、それで供養が終わりというわけではありません。故人が死後50年も経過すれば、配偶者や子どもたちも生存している可能性は低いと言えます。そこで、死後半世紀も経過すれば、死者の霊魂は宇宙へ還り、人間に代わってホトケが供養してくれるといいます。つまり、「弔い上げ」を境に、供養する主体が人間から仏に移るわけで、供養そのものは永遠に続くわけです。まさに、永遠葬です。有限の存在である「人」は無限のエネルギーとしての「仏」に転換されるのです。これが「成仏」です。あとは「エネルギー保存の法則」に従って、永遠に存在し続けるのです。つまり、人は葬儀によって永遠に生きられるのです。葬儀とは、「死」のセレモニーではなく「不死」のセレモニーなのです。
さらに、わたしは、現在取り組んでいる葬イノベーション――四大「永遠葬」を紹介しました。日本人の他界観を大きく分類すると、「山」「海」「月」「星」となりますが、それぞれが対応したスタイルで、「樹木葬」「海洋葬」、「月面葬」、「天空葬」となります。

●「太陽の塔」から「月の塔」へ
その中でも、月面葬がこれから注目されると思われます。夜空にくっきりと浮かび上がる月は、あたかも輪廻転生の中継基地そのものと言えます。人間も動植物も、すべて星のかけらからできている。その意味で月は、生きとし生けるものすべてのもとは同じという「万類同根」のシンボルでもあります。かくして、月に「万教同根」「万類同根」のシンボル・タワーとしての「月面聖塔」を建立し、レーザー(霊座)光線を使って、地球から故人の魂を月に送るという計画の実現をめざして、わが社は尽力しています。
月は死者の霊魂が赴く死後の世界だとされています。多くの民族の神話と儀礼において、月は死、もしくは魂の再生と関わっています。規則的に満ち欠けを繰り返す月が、死と再生のシンボルとされたことはきわめて自然だと言えるでしょう。
2025年に大阪万博が開催されます。高度成長の只中に行われた1970年の大阪万博は「人類の進歩と調和」がテーマでしたが、25年の万博は「老いと死」がテーマのようです。ならば、前回のシンボルが「太陽の塔」なら、今回は「月の塔」とするべきではないでしょうか。ずっと月を追い求めてきたサンレー思想が大阪万博に反映されることを大いに楽しみにしています。

太陽を見上ぐる人は生追へど
老いと死ならば月を見上げん  庸軒