親の葬儀は人の道である 互助会加入の義務化を!
●中流危機とは何か
5月20日に開催されたMS責任者会議で、『中流危機』NHKスペシャル取材班(講談社現代新書)という本を紹介しました。
かつて「一億総中流社会」と言われた日本。戦後、日本の経済成長を支えたのは、企業で猛烈に働き、消費意欲も旺盛な中間層の人々でした。しかし、バブル崩壊から30年が経ったいま、その形は大きく崩れています。『中流危機』の帯には「〝中流″なんて高嶺の花!」「結婚できない」「正社員になれない」「自家用車を持てない」「趣味にお金をかける余裕がない」「持ち家に住めない」「年に一度以上旅行に行けない」「なぜこんなことに! 再生への処方箋は何か?」と書かれています。
もはや日本はかつてのような「豊かな国」ではなく先進国の平均以下の国になってしまったようです。中間層の定義はさまざまですが、複数の専門家は、日本の全世帯の所得分布の中央値の前後、全体の約6割から7割にあたる層を所得中間層としています。その中間層の所得がこの25年間で大幅に落ち込んでいます。2022年7月に内閣府が発表したデータでは、1994年に505万円だった中央値が2019年には374万円。25年間で約130万円も減っています。
●老後と死後の支援制度
このように日本国民が急速に貧しくなっているわけですが、日本人の「老後」や「死後」にも大きな影響を与えています。
5月7日に朝日新聞デジタルが「身寄りなき老後、国が支援制度を検討 生前から死後まで伴走めざす」という記事を配信しました。そこには、「頼れる身寄りのいない高齢者が直面する課題を解決しようと、政府が新制度の検討を始めた。今年度、行政手続きの代行など生前のことから、葬儀や納骨といった死後の対応まで、継続的に支援する取り組みを一部の市町村で試行。経費や課題を検証し、全国的な制度化をめざす」とありました。
高齢化や単身化などを背景に、病院や施設に入る際の保証人や手続き、葬儀や遺品整理など、家族や親族が担ってきた役割を果たす人がいない高齢者が増え、誰が担うかが課題になっています。多くは公的支援でカバーされておらず、提供する民間事業者は増えていますが、契約に100万円単位の預かり金が必要なことも多く、消費者トラブルも増えているといいます。本人の死後、契約通りにサービスが提供されたかを誰かが確認する仕組みもないそうです。これは深刻な問題です。
国が支援制度を検討といいますが、国や行政だけでは問題の解決は難しいと思います。日本の超高齢社会は大きな危機に直面していると言えます。
●葬祭扶助費が過去最大額に
生活困窮者が亡くなった際の火葬代などとして支給される葬祭扶助費の総額が2021年度、全国で約104億円にのぼったことがわかりました。厚生労働省によると、100億円を超えたのは、統計の残る1957年度以降初めて。生活に困窮する独居高齢者や故人の引き取りを拒否する親族の増加が背景にある。多死社会における公的支援のあり方が問われている」と書かれています。葬祭扶助というのは、生活保護法に基づく制度で、生活扶助、医療扶助などと並ぶ8つの扶助のうちの1つです。遺体の運搬や火葬などの費用が支給されます。支給額には基準があり、都市部の場合、21万2000円以内です。
葬祭扶助は、遺族が困窮していたり、身寄りのない故人がお金を残していなかったりした場合、遺族のほか、親族、家主や民生委員ら葬儀を行う第三者が自治体に申請すると支給されます。厚労省によると、2021年度は過去最多の4万8789件の申請があり、計103億9867万円が支給されました。葬祭扶助費が約104億円とは、驚くべき金額です。日本にこんな時代が訪れるとはまったく想定できませんでした。
●人の道を守るには
葬儀は人類の存在基盤です。
古今東西、人が亡くなって葬儀をあげなくてもいいと考えた民族も宗教も国家も存在しません。もし、日本に「葬式は、要らない」とか「葬式消滅」とかの考えが存在するのなら、それは人類史から見て現在の日本人が異常なのです。
「親の葬儀は人の道」というのはわたしの信条ですが、孔子が開いた儒教では、親の葬儀をあげることを「人の道」と位置づけました。孔子の最大の後継者というべき孟子は、人生の最重要事と位置づけています。儒教における「孝」とは、何よりも親の葬儀をきちんとあげることなのです。
韓国では「孝の啓蒙を支援する法律」が制定されているそうですが、これは日本でも見習うべきです。日本には親の葬儀を確実にあげることができる冠婚葬祭互助会というシステムがあるわけですから、いっそのこと、すべての国民に互助会への入会を義務づけてもいいと思います。いわゆる「互助会加入義務化」ですが、義務教育や自賠責保険のようなものですね。各自が入りたい互助会に入ることで、とりあえず「わたしは親の葬儀を必ず行います」という証明になるのではないでしょうか。
また、互助会への義務加入に伴う会費は個人の負担でなく、公的サービスとして税金から支給されるべきです。わたしは、これからもこの構想について考察を続け、発言していきたいと思います。これから葬儀がどんなスタイルに変わろうとも、葬儀は人類の存在基盤であり、葬式は不滅です。わたしは、自信をもって、日本国民の互助会加入の義務化を提案いたします。
何よりも親の葬儀は人の道
外れぬやうに われら支へん 庸軒