マンスリーメッセージ サンレーグループ社員へのメッセージ 『Ray!』掲載 2025.09

佐久間進と鎌田東二 2人の御霊に捧げた9月

●9月も死者を想う月
 先月、「8月は死者を想う月」と述べましたが、この9月も死者と関わりの深い月になります。まずは6日(土)には、「リメンバーフェスin北九州紫雲閣」が開催され、昨年9月20日に逝去した佐久間進名誉会長と今年5月30日に帰幽した鎌田東二先生の御霊を「月への送魂」で月に送ります。
 13日(土)は、鎌田東二百日祭「かまたまつり」が京都府綾部の大本本部の「みろく会館」で行われ、わたしが葬儀委員長を務めます。20日(土)は、佐久間名誉会長の一周忌法要、墓石開眼供養および納骨があります。じつに3週続けて、土曜日にビッグ・イベント&セレモニーが行われるのです。「天下布礼」に休みなし。
 佐久間名誉会長と鎌田先生は國學院大學の院友であり、ともに「日本人の幸福」を追求した人生を送りましたが、わたしに最大の影響を与えてくれた2人でもあります。心して、三大行事に臨みたいと思います。

●『満月交命』の刊行
 今月、鎌田先生との最後の共著となる『満月交命』(現代書林)が刊行されます。日本を代表する宗教哲学者であり、わが魂の義兄である鎌田東二先生(Tony)と、わたし(Shin)の2人がWEB文通の「ムーンサルトレター」を開始したのは2005年10月18日のことでした。それから毎月、満月が夜空に上がるたびにレターを交換し、それらは『満月交感』上下巻、『満月交遊』上下巻として水曜社から、『満月交心』として現代書林にまとめられました。そして、ついに第181信から第244信が『満月交命』にまとめられたのです。
 第1信から、じつに20年。正直、こんなに長く続くとは思ってもみませんでした。そのうち、この文通は永遠に続くのではないかと思うようになりました。しかし、その思いは現実のものとはなりませんでした。鎌田先生が帰幽されたからです。

●「命」を交換する
 鎌田先生は、1951年、徳島県生まれ。わが“魂の義兄”は、5月30日18時25分、ご自宅で奥様に見守られながら、その偉大な生涯を閉じられました。享年74。
 ステージⅣのがん患者でありながら、人生を卒業するその日まで八面六臂の大活躍でした。その元気な姿に驚きつつも、わたしは「どうか無理をしないで療養に専念してほしい」と思い続けてきました。
 鎌田先生からのレターを読むたびに、わたしは「これは命の一部だ」と思えてなりませんでした。命とは使命であり、天命であり、何よりも生命です。
 20年ものあいだ文通が続いたということは、とりもなおさず、わたしたちが20年間生きてきたということになります。わたしたちはWEB上で言葉の交換をしながら、「明るい世直し」や「天下布礼」といった、お互いの使命や天命をレターの交換によって確認し、激励し、鼓舞し合ってきました。そして、まさに生命としての「命」そのものの交換をしてきたように思うのです。

●死は光源である
 「命」の輪郭をくっきりと示すものこそ「死」です。鎌田先生の遺作となった『日本人の死生観Ⅱ 霊性の個人史』の第1章「死に臨む」の「1、ステージⅣのがんになって『死を光源として即身を生きる』」では、ステージⅣのがんになってから元気になったとして、鎌田先生は「元気が出た。覚悟が定まり、余分なものが削がれて、スッキリしたことは確かだ。生のかたちがシンプルになり、いのちのいぶきに素直になったのだ。だから、ずいぶん楽になったし、ある意味、楽しくなった。というより、たのしいことしかしたくない」と書かれています。
 また鎌田先生は、「死は光である。死は光の元、すなわち、光源である。それは、くっきりと生を、いのちを照らしてくれる。自分の全体ばかりではなく、『在る』、ということの全体を照らしてくれる。なぜなら、死は自分の生と思っているもの、いのちと思っているものが『無い』ものとなる、なくなってしまう、消滅してしまうと思える事態だからである」とも述べられています。

●魂のメッセージ
 死ねば無に帰すと思っている人も多いです。それに対して、死んだら、肉体を離れて、自由になった霊魂がホンモノの世界に生きることになると思う人もいます。
 それを踏まえた上で鎌田先生は、「死生観も、一様ではないし、さまざまな考え方、捉え方がある。だが、死生観はさまざまだとしても、死を光源としていのちの輪郭やありようが鮮明になるということは事実である」と述べます。鎌田先生の遺言ともいえる魂のメッセージは、後世に残る卓越した死生観です。
 改めて、鎌田先生が偉大な実践思想家であったことを痛感します。その不在は、日本にとっても大きな損失です。もっともっと活躍して「明るい世直し」を推進していただきたかったのに、もっともっと語り合いたかったのに、まことに残念でなりません。
 鎌田先生には言い尽くせないほど、本当にお世話になりました。父である佐久間進の通夜・葬儀告別式、お別れの会にもご参列いただき、心ある弔辞も賜りました。火葬場にまで同行して下さり、父の骨を一緒に拾って下さいました。感謝の言葉もありませんでした。
 生涯をかけて「明るい世直し」を目指した鎌田先生の志は、わたしが受け継ぐ覚悟です。それにしても、鎌田東二という、こんな凄い思想家と20年以上も文通を続けたことは、わが生涯における最大の誇りであり、人生の宝です。わたしもいずれそちらに行くので、そのときはまた文通させていただきたいと思っています。

 満月の文を交はして二十年(はたとせ)に
  互ひの命(めい)を想ひ思はれ  庸軒