戦後80年への想い 死者とともに生きるということ
●戦後80年
今年2025年は、戦後80年という大きな節目です。日本人だけで310万人もの方々が亡くなられた、あの悪夢のような戦争を直接体験した世代も少なくなりつつあります。いくら新型コロナウイルスの感染拡大の被害が大きかったと騒いでみても、戦争のほうがずっと悲惨です。現在も、世界では戦争が続いています。
終戦60年の2005年8月15日、わたしは「ひめゆりよ 知覧ヒロシマナガサキよ 手と手あはせて 祈る八月」という道歌を詠みました。
先の大戦について強く思うことは、あれは「巨大な物語の集合体」であったということです。真珠湾攻撃、戦艦大和、回天、ゼロ戦、神風特別攻撃隊、ひめゆり部隊、沖縄戦、木の上の軍隊、満州国、硫黄島の戦い、ビルマ戦線、ミッドウェー海戦、東京大空襲、広島原爆、長崎原爆、ポツダム宣言受諾、玉音放送・・・・・・挙げていけばキリがないほど濃い物語の集積体でした。
●巨大な物語の集合体
それぞれ単独でも大きな物語を形成しているのに、それらが無数に集まった巨大な物語の集合体。それが先の大戦だったと思います。実際、あの戦争からどれだけ多くの小説、詩歌、演劇、映画、ドラマが派生していったでしょうか・・・・・・。
「物語」といっても、戦争はフィクションではありません。紛れもない歴史的事実です。わたしの言う「物語」とは、人間の「こころ」に影響を与えうる意味の体系のことです。人間ひとりの人生も「物語」です。そして、その集まりこそが「歴史」となります。そう、無数のヒズ・ストーリー(個人の物語)がヒストリー(歴史)を作るのです。
戦争というものは、ひときわ歴史の密度を濃くします。ただでさえ濃い物語が無数に集まった集積体となるのです。「巨大な物語の集積体」といえば、神話が思い浮かびます。そう、『古事記』にしろ『ギリシャ神話』にしろ、さまざまなエピソードが数珠つなぎに連続していく物語の集合体でした。
●戦争を知らない子供たち
いま、8月15日が「終戦の日」であることも知らない若者が増えているそうです。彼らにとって戦争など遠い過去の出来事なのでしょう。それこそ、太古の神話の世界の話なのかもしれません。
わたしの好きな歌の一つに「戦争を知らない子供たち」があります。北山修が作詞し、杉田二郎が作曲し、ジローズが歌った1970年のフォークソングです。この歌は単純な反戦ソングなどでなく、もっと深い意味があるように思えます。「神話からの解放」、そして「新たな神話の創造」を宣言する歌のように思えるのです。
戦争という愚行を忘れるのはいい。でも、先人の死を忘れてはなりません。死者を忘れて生者の幸福など絶対にありえないからです。そんなことを考えながら『戦争を知らない子供たち』を聴くと、また違ったメッセージを感じることができます。平和の歌を口ずさみながら、自分なりに戦没者の方々に心からの祈りを捧げたいと思います。
●死者に支えられている生者
柳田國男らが創設した日本民俗学が明らかにしたように、日本には、祖先崇拝のような「死者との共生」という強い精神的伝統があります。しかし、日本のみならず、世界中のどんな民族にも「死者との共生」や「死者との共闘」という意識が根底にあります。そして、それが基底となってさまざまな文明や文化を生み出してきました。
SF小説の第一人者とされた英国出身のアーサー・C・クラークは、不朽の名作『2001年宇宙の旅』の冒頭に、「今この世にいる人間ひとりの背後には、30人の幽霊が立っている。それが生者に対する死者の割合である。時のあけぼの以来、およそ1000億の人間が、地球上に足跡を印した」(伊藤典夫訳)と書きました。
この数字が正しいかどうか知りませんし、また知りたいとも思いません。重要なのは、わたしたちのまわりには数多くの死者たちが存在し、わたしたちは死者たちに支えられて生きているという事実です。
そこで重要になるのが「葬儀」であり、「供養」です。わたしは、葬儀は人類の存在基盤であると考えています。すでに約七万年前に死者を埋葬していたネアンデルタール人たちは、「他界」の観念を持っていたとされます。それは、「ホモ・サピエンス」と呼ばれる現生人に受け継がれました。
●死者を想えば光が見える
「人類の歴史は墓場から始まった」という言葉を聞いたことがありますが、確かに埋葬という行為には人類の本質が隠されているといえるでしょう。それは、古代のピラミッドや日本の古墳を見てもよく理解できるのではないでしょうか。
わたしは人類の文明も文化も、その発展の根底には「死者への想い」があったと考えています。そして、最期のセレモニーである葬儀は人類の存続に関わってきました。
葬儀は故人の魂を送ることはもちろんですが、残された人々の魂にエネルギーを与えます。もし葬儀を行わなければ、配偶者や子ども、家族の死によって遺族の心には大きな穴があき、おそらくは自死の連鎖が起きたことでしょう。また、葬儀後の法事・法要といった一連の供養は生きている者の「こころ」を安定させ、生きる力を与えます。
そう、死者を想うことによって、心の暗闇に光がともるのです。この戦後80年の節目に、わたしは『死者とともに生きる』という著書を産経新聞出版から上梓します。日本人が幸せになるために、一人でも多くの日本人に読んでいただきたいと願っています。
先人の想ひを胸に生くるなら
光は見えり八十年(やそとせ)の夏 庸軒