マンスリーメッセージ サンレーグループ社員へのメッセージ 『Ray!』掲載 2021.05

儀式が日本人を幸福にする カタチのチカラを侮るなかれ!

●五輪のための緊急事態宣言
4月25日から東京・大阪・京都・兵庫の4都府県に3回目の緊急事態宣言が発出されました。アナクロそのものである禁酒令と灯火統制には、あきれてものが言えません。
そこまでして、東京五輪を開催したいのでしょうか。国民のほとんどは、五輪の開催に反対しています。また、落語家の立川志らく氏も言っていましたが、子どもたちが運動会もできずに悲しい思いをしているのに、どうして大人の運動会を無理して開催しなければならないのか。世界的に変異株が生まれているのに、どうして世界の人々を日本に集めるのか。命より大事な運動会などありません!
英国紙「タイムス」は、すでに3月3日の時点で、「今夏の東京五輪・パラリンピックを「中止する時が来た」とするコラムを掲載。「(新型コロナウイルス)感染を拡大させるイベントは日本だけでなく、世界へのリスクだ」と主張。日本政府やスポンサー企業が五輪開催を推進していることを「止まらない暴走列車」と批判しました。

●儀式が日本人を不幸にする?
そもそも五輪を「平和の祭典」などと表現する輩もいますが、結婚こそは「最高の平和」であり、本当の平和の祭典とは、五輪などではなく、結婚式ではないでしょうか。
ところで、「入学式も卒業式もムダ。3月4月すべての儀式が日本人を不幸にする」という記事が配信され、強い違和感をおぼえました。記事のリード文には、「3月4月の日本では、卒業式や入学・入社式等々多くの行事が行われますが、それらはすべて『ムダな儀式』と言い切ってしまって間違いないようです。今回のメルマガ『冷泉彰彦のプリンストン通信』では米国在住作家の冷泉彰彦さんが、前掲の行事を『オワコン』と一刀両断。その上で、それらの儀式を無意味と判断せざるを得ない理由を、冷静な筆致で明らかにしています」と書かれています。
記事を読んでみると、率直な感想は「春の一連の儀式について悪意を持って書くとこのようになるのかな」と思いました。また、主張に論拠もなく、主観を振りかざすばかりで、特に得るものがありませんでした。

●1年遅れの入学式
儀式については、当然いろいろな意見があると思いますが、一人一人の多様な人間が、それぞれの儀式で何を得るかなどを考えず、価値感の押し付けをする独善的な印象です。
最近、新型コロナウイルスの影響で昨春の入学式を中止とした大学が今春、新2年生向けに「1年遅れの入学式」を行うケースが相次ぎました。オンライン授業中心でキャンパスに通うこともままならなかった学生たちは「ようやく大学生の実感が湧く」と喜んでいました。1年遅れの入学式を希望するかと大学側が新2年生たちにアンケートを取ったところ、じつに80%以上の学生が希望したそうです。これを知ったわたしは、彼らが入学式もないまま大学生活をスタートして、どんなに不安な毎日を送っていたかと思い、泣けてきました。
わたしが客員教授を務める上智大学でも、新型コロナウイルスの影響で去年中止となった入学式が開かれ、400人もの新2年生たちが1年遅れの式典に臨みました。

●カタチにはチカラがある
そもそも、儀式は何のためにあるのか。
儀式が最大限の力を発揮するときは、人間のココロが不安定に揺れているときです。もともと、「コロコロ」が語源であるという説があるぐらい、ココロは不安定なものなのです。まずは、この世に生まれたばかりの赤ちゃんのココロ。次に、成長していく子どものココロ。そして、大人になる新成人者のココロ。それらの不安定なココロを安定させるために、初宮参り、七五三、成人式、結婚式があります。
さらに、老いてゆく人間のココロも不安に揺れ動きます。なぜなら、人間にとって最大の不安である「死」に向かってゆく過程が「老い」だからです。しかし、日本には老いゆく者の不安なココロを安定させる一連の儀式として、長寿祝いがあります。そして、人生における最大の儀式としての葬儀がある。葬儀とは「物語の癒し」です。愛する人を亡くした人のココロは不安定に揺れ動きます。ココロが動揺していて矛盾を抱えているとき、儀式のようなきちんとまとまったカタチを与えないと、人間のココロはいつまでたっても不安や執着を抱えることになります。このように、カタチにはチカラがあるのです。

●儀式が日本人を幸福にする
葬儀という儀式の本質は卒業式です。「人生の卒業式」です。卒業とは環境が激変することであり、最もココロが不安定となってストレスが増大します。これに続く入学式ではストレスが最大になります。だから、ココロを安定させるカタチである卒業式や入学式が必要なのです。
人のココロは、人生のさまざまな場面でのカタチによって彩られます。人には誰にでも「人生の四季」があるのです。その生涯を通じて春夏秋冬があり、その四季折々の行事や記念日があります。大切なことは、自分自身の人生の四季を愛でる姿勢でしょう。
冷泉氏が言うように、卒業式の時期や来賓のシステムなど、確かに改革が必要な点は多々あるとは思います。そうした文化を改善しながら、儀式もアップデートしながら、後代に繋げれば良いのです。それを問題があるからといって、儀式そのものを廃止してしまうのは、『論語』にある「羹(あつもの)に懲りて膾(なます)を吹く」ではありませんか。儀式は日本人を不幸にするどころか、幸福にするテクノロジーです。わたしたちは儀式を生業(なりわい)としていることに誇りを持って、日本人の幸福のために励みましょう!

カタチにはチカラがあると思ひ知れ
儀式なくして人生はなし  庸軒