平成心学塾 図書篇 ブック・セレクション #068

【ドラッカー】すでに起こった未来

すでに起こった未来

訳:上田惇生 + 佐々木実智男 + 林正 + 田代正美

出版社:ダイヤモンド社

 

重要なことは、「すでに起こった未来」を確認することだ。すでに起こってしまい、もはや元に戻ることのない変化、しかも重大な影響力をもつことになる変化でありながら、まだ一般には認識されていない変化を知覚し、かつ分析することである。本書の各章は、政治・経済・社会・企業のトレンドについて、すでに起こった、未来を「観察した」ものである。いずれも、現代の激動と大転換の本質を知るうえで重要なヒントを与えてくれる。
また、シュンペーターとケインズという20世紀を代表する二人の経済学者について書かれた第4章、第5章を読むと、ドラッカーは経済学者になっていても一流の仕事をしただろうということが確信できる。おそらく、ノーベル経済学賞を取ったのではないか。
しかし、最も注目すべきは第12章の「もう一人のキルケゴール」である。ここでドラッカーは、人間の幸福について考えたときの究極の問題である「死の問題」について徹底的に思考の極限まで考え抜いている。
あらゆる人間が突然、死に直面していることを認識する。そしてそのとき、あらゆる人間が孤独な個となる。もし、彼の実存が社会の中にしかなければ、途方に暮れるだけである。なぜならば、社会における実存は無意味だからである。哲学者キルケゴールは、この現象を診断して、「個であろうとしないがゆえの絶望」と呼んだ。死が存在するかぎり、もはや人間は、社会における自らの実存について自信を回復することはできない。基本的には、彼は絶望に至らざるをえない。
人間が、人類という樹木の一枚の葉、あるいは社会という肉体の一つの細胞にすぎないのであれば、死は死でなくなる。集合的再生の中の一つの過程にすぎなくなる。
キルケゴールは、西洋における宗教的経験の偉大な伝統、すなわち聖アウグスティヌス、聖ボナベントゥーラ、ルーテル、聖ヨハネ、パスカルの伝統の中に堂々と立つ。キルケゴールを際立たせ、今日彼をきんきゅうなに必要な者としている理由は、彼が、信仰者たるキリスト教徒に対して、時間や社会における実存の意味を強調しているところにある。
全体主義の哲学は、人に死の覚悟を与える。そのような哲学の力を過小評価することは、きわめて危険である。悲嘆と苦難、破局と恐怖の時代にあっては、死ねるということは偉大なことだからである。だが、それだけでは十分ではない。これに対して、キルケゴールの信仰もまた、人に死ぬ覚悟を与えてくれる。しかし、それは同時に、人に生きる覚悟をも与えてくれるものである。
この論文は1949年に発表されたものだが、ドラッカーが哲学者としての正体を臆面もなく見せている。「信仰」の問題にまで深く踏み込んでおり、宗教哲学者と言ってもよい。こんなすごいドラッカーは見たことがない。私は、この論文を読んだとき、鳥肌が立った。そして、ピーター・ドラッカーを生涯の心の師にしようと決めた。