平成心学塾 図書篇 ブック・セレクション #061

【ドラッカー】「経済人」の終わり

「経済人」の終わり

訳:上田惇生

出版社:ダイヤモンド社

 

20世紀を代表する知の巨人ドラッカーの記念すべき処女作である。本書によって思想家ドラッカーは誕生した。
ヨーロッパで書かれ、アメリカで完成し出版された本書は、ドイツとイタリアに勃興したファシズムの精神的・社会的起源を実存主義的な視点から分析した著作である。言葉をかえれば、資本主義および社会主義への信仰が危機的な状況にあり、その原因に対処する必要があることを描写した本である。ドラッカーはドイツ、イタリアに固有な背景を無視し、ファシズムの起源を文明に求めた。われわれが今まさに暮らしている、この文明だ。
ドラッカーは本書について、「多分に政治的な本だった」と語っている。自由を捨てて全体主義を受け入れろという脅しに屈してはならない、自由を守る意思を固めよ、という政治的な意図を持っていたのである。
この政治的な意図を歓迎したのが、イギリスのウィンストン・チャーチルだった。チャーチルは、本書を絶賛する書評を1939年春に発表し、ドラッカーを初めて世の中に紹介した。そして翌40年に首相に就任すると、英国士官学校の「卒業記念書籍」に本書を加えるよう指示した。「どういうわけか、そこにはルイス・キャロルの『不思議の国のアリス』も一緒に入っていたらしい。陸軍省にはユーモアのセンスがある人物がいたようだ」とドラッカーは述懐している。
ファシズムについて語りながらも、実はドラッカーは、経済のために生き、経済のために死ぬという経済至上主義からの脱却を説いている。それは、21世紀を生きるわれわれにとってのメッセージでもある。社会が機能するには、一人ひとりの人間に「位置」と「役割」があって、かつそこに存在する「正当性」がなければならないという主張は、ドラッカーの生涯において常に一貫していた。
しかしながら、本書を完全に読みこなすには、かなりの忍耐力が必要とされる。文章は高度に抽象化されており、さまざまな存在に対する造語が頻出するからである。たとえば、「宗教人(Spiritual Man)」や「知性人(IntellectualMan)」「経済人(Economic Man)」「英雄人(Heroic Man)」「自由平等人(Free and Equal Man)」などなど巧みに創った言葉を登場させ、その実態に応じて特別な使い方をしている。コンセプターそしてコピーライターとしてのドラッカーの才気がほとばしる。
鋭い観察眼と独創性にあふれ、知的かつ大胆な本書は、現代社会で自分の判断力に自信が持てない若者にも必読の名著である。