『苦海浄土 わが水俣病』石牟礼道子著(講談社文庫)
2月10日、作家で詩人の石牟礼道子氏が熊本市内の介護施設で90歳で亡くなられました。それを知ったわたしは、故人の代表作である本書を再読しました。
1969年に刊行されるや、水俣病の現実を伝え、魂の文学として描き出した作品として絶賛されました。70年には第1回大宅壮一賞に選ばれますが、受賞を辞退しています。73年には、「アジアのノーベル賞」といわれるマグサイサイ賞を受賞しました。
作家の池澤夏樹氏が個人編集した『世界文学全集』(全30巻、河出書房新社)には『苦海浄土』3部作が日本人作家の長編として唯一収録されています。 すごいです。
また、2014年9月に石牟礼氏へのインタビューを行った宗教哲学者で上智大学グリーフケア研究所特任教授の鎌田東二氏は、なんと、『古事記』『平家物語』『苦海浄土』を「日本の三大悲嘆(グリーフ)文学」と位置づけています。これまた、すごいです。
水俣病は、工場廃水の水銀が引き起こした文明の病です。この地に育った著者は、患者とその家族の苦しみを自らのものとして、壮絶かつ清冽な記録を綴りました。地獄の如き極限状況にあっても生き続ける人々の姿に「人間の尊厳」を感じないではおれません。
本書は、いわゆる「聞き書き」ではありません。著者は、物言えぬ患者や死者の魂の声を聞き取って、それを美しい文章にしました。著者は自身のことを「高漂浪き」と呼んでいたといいます。魂が身からさまよい出て諸霊と交わって戻らないさまをいう方言だそうですが、まさに著者はシャーマンのような人だったのでしょう。
鎌田氏のインタビューに対して、著者は「約50年間、脇目もふらず、間に合わないと思って無我夢中で書いてきました」と答えています。わたしは、この言葉に魂が揺さぶられるような感動を覚えました。
わたしも、「葬式は、要らない」や「無縁社会」といった世の流れに強い危機感を覚えました。水俣病と同じく、葬式無用論や無縁社会も「人間の尊厳」を脅かすものだからです。それで、わたしも「間に合わない」と思って無我夢中で『葬式は必要!』や『隣人の時代』をはじめ、さまざまな本を書きました。
でも、本業をやりながらの作家業ですので、もどかしい思いをすることが多々あります。しかし、本というものは基本的に「間に合わないと思って無我夢中で」書くものなのだと考えます。『苦海浄土』という普遍的な世界文学が1人でも多くの人類に読まれることを願ってやみません。最後に、石牟礼道子氏が向かわれた浄土に「苦」がないことを願って、心より御冥福をお祈りいたします。合掌。