ハートフル・ブックス 『サンデー新聞』連載 第177回

『変な絵』雨穴著(双葉社)

 9枚の「図絵」がからみあうスケッチ・ミステリーです。著者の雨穴は「ホラー作家」と紹介されていますが、本書『変な絵』は、ベストセラーで映画化も決定した前作『変な家』と同じく、ホラーというより、ミステリーです。それも、古典的なトリックを利用した「本格ミステリー」の要素が強いと言えます。
 そこに、児童虐待など現代の社会問題も取り入れて「社会派ミステリー」の様相も見せています。それでも、この小説が並みのホラー小説よりずっと怖いのは、怖い人間が登場するからです。怖い人間は、幽霊よりも吸血鬼よりもゾンビよりも恐ろしいです。
 「キング・オブ・ホラー」と呼ばれるスティーブン・キングも「人間の行動が最も怖い」と述べています。怖い人間を描いた小説としては、貴志祐介の『黒い家』を連想しました。
 また、本書はグリーフ小説としても読めました。たとえば、鬱になった父親が自死した娘が登場するのですが、「父の死後、母は変わってしまった。(中略)食事は毎日缶詰ばかり。掃除や洗濯をすることもなくなり、家はたちまちゴミだらけになった。父の死因が、いっそう状況を悪くしたのだろう。たとえば病死や事故死ならば、周囲から同情を得られたかもしれない。慰めの言葉や、多少の支援はあったはずだ。しかし・・・・・・」と書かれています。残された母親は「なんでご主人自殺しちゃったのかしら・・・・・・」「もしかして、女房が不倫してたんじゃねーのか?」「たしかに、あの顔はやりそうよね」「娘だって本当に旦那の子供か怪しいもんだぜ」などの近所の人々の声に精神を病んでいきます。
 他にも、本書には、密かに好きだった高校教師を亡くした女子高生のグリーフもリアルに描かれています。これはわたしの持論なのですが、小説や映画やアニメやコミックをはじめ、すべての物語にはグリーフケアの要素があるように思います。特に殺人が登場する物語は、殺された人間の家族をはじめとする周囲の人たちの悲嘆と癒しがテーマになることが多く、グリーフケアの物語となりえます。
 グリーフケアといえば、拙著『愛する人を亡くした人へ』(現代書林)の映画化が決まりましたが、同書の中で、わたしは「親を亡くした人は、過去を失う。配偶者を亡くした人は、現在を失う。子を亡くした人は、未来を失う。恋人・友人・知人を亡くした人は、自分の一部を失う」と書きました。
 『変な絵』の中にはまさに「自分の一部」を失った人々が何人も登場します。グリーフケアはカタルシスにも通じますが、読者を欺き、騙し、それぞれの点が最後に線となって繋がる本書の結末を読んだとき、わたしは大いなるカタルシスを得ました。