『月の満ち欠け』佐藤正午著(岩波書店)
第157回直木賞受賞作として、いま話題の小説です。地元・佐世保で執筆活動を続ける著者はデビュー34年にして今回が初の直木賞ノミネートでした。
本書は「生まれ変わり」というオカルト的に受け取られがちなスピリチュアルなテーマをガチンコで描いた小説です。このような本がアカデミックな印象の強い岩波書店から出版され、しかも直木賞を受賞したという事実には大いに驚かされました。
小山内堅という初老の男が八戸から東京駅にやってくる。駅に隣接した東京ステーションホテルのカフェに入り、先に入店していた母娘の前に座る。彼が店員にコーヒーの注文を伝えると、先に着席していた小学生の女の子が「どら焼きのセットにすればいいのに」と言う。戸惑う小山内に向かって、少女は「一緒に食べたことがあるね、家族三人で」と口にするのでした。ここから、世にも不思議な物語が展開されていきます。
書名にもあるように、月が「生まれ変わり」のシンボルとなっています。「いちど欠けた月がもういちど満ちるように」生まれ変わって、愛する人の前に現れるというわけですが、これは、わたしには当然というべき考え方です。拙著『ロマンティック・デス~月を見よ、死を想え』(幻冬舎文庫)に詳しく書いたように、世界中の古代人たちは、人間が自然の一部であり、かつ宇宙の一部であるという感覚とともに生き、死後への幸福なロマンを持っていました。
その象徴が月です。彼らは、月を死後の魂のおもむくところと考えました。月は、魂の再生の中継点と考えられてきたのです。 多くの民族の神話と儀礼において、月は死、もしくは魂の再生というものに関わっています。規則的に満ち欠けを繰り返す月が、死と再生のシンボルとされたことはきわめて自然だと言えるでしょう。
人類において普遍的な信仰といえば、何といっても、太陽信仰と月信仰のふたつです。太陽は、いつも丸い。永遠に同じ丸いものです。それに対して月も同じく丸いけれども、満ちて欠けます。この満ち欠け、すなわち時間の経過とともに変わる月は、人間の魂のシンボルとされました。
人の心は刻々と変化変転します。人の生死もサイクル状に繰り返します。死んで、またよみがえってという、死と再生を繰り返す人間の生命のイメージに月はぴったりなのです。
「月の満ち欠け」のように人間が生まれ変わるというイメージは、皮相的なオカルト批判など超えて、多くの人々にとって死の「おそれ」と死別の「かなしみ」を溶かしていく考え方であると言えます。