『むすんでひらいて』玄侑宗久著(集英社)
芥川賞作家にして臨済宗妙心寺派福聚寺の現役僧侶である著者の最新刊です。現代日本人の「こころ」に関するさまざまな問題が語られており、特に自死の話が印象的でした。
著者のお寺は福島県にあるのですが、県内の「霊山こどもの村」という施設にボタン1つでガラスケースの中に竜巻が起こる装置があるぞうです。竜巻というのは、4つの風を別な角度から合流させて起こします。2つでも3つでも難しいですが、4種類の風が絶妙なバランスで合流すると発生するといいます。
著者は、自死というのはこの竜巻のようなものだと思ったそうです。そしてたまたま合流した4つの風すべてを知ることができない以上、自殺を簡単な「物語」で解釈するのはやめておこうと思い至ったと語ります。
自死によって体を殺そうとした「私」は普段の私ではありません。鬱とか心身症のことも多いですし、竜巻がさまざまな要因で起こっているのかもしれません。自死が起こるのは現実の変化に対応するための「物語」の再構成ができなかった可能性があります。
いま、15歳から39歳までの死因の第1位は自殺です(10歳から14歳の1位は小児がん。2位が自殺)。むろん戦争も感染症も大きすぎるほど大きな問題ですが、こんな切ない体験をしている家族が今の日本には無数にあり、また今日も大勢の若者が、竜巻に吹き飛ばされようとしているのです。
本書の最後に、著者は「むすんでひらいて」という歌を紹介します。1947年に『一ねんせいのおんがく』に掲載された文部省唱歌です。音楽を小学校の科目として教えたのはこれが初めてだったのですが、著者はこの歌に、戦後の心の復興を願う気持ちをとても強く感じるといいます。この曲はルソーの作曲と言われていましたが、作詞者がわからず、「作者・不明、作曲・外国民謡」でした。
この「むすんでひらいて」という歌には日本復興のための深謀遠慮を感じるという著者。結んで開く、と始まりますが、これは本来、神と仏です。神はカミムスビの神やタカミムスビの神のように「むすぶ」もの。そして、仏とは「ほどく」もの。ひらいて、ほどく。
さまざまな人生上の問題も解決できるものではなく、何度も結んだり開いたりしながら向き合っていくものだといいます。そうしているうちに、いつしか状況は変わってきます。竜巻を避けられるかもしれません。
先日、著者の玄侑宗久氏と「仏教と日本人」をテーマに対談しました。日本仏教の第一人者との対談は至福の時間でした。そのとき、ここで紹介した自死や「むすんでひらいて」も話題に上り、日本人の「こころ」の本質について大いに語り合うことができました。