『おらおらでひとりいぐも』 若竹千佐子著(河出書房新社)
タイトルは、宮澤賢治の詩「永訣の朝」の、「おら おらで ひとり逝く」から取られたとか。賢治の詩では「あの世へ逝く」の意味ですが、本書では「自分らしく、一人で生きていく」という意味が伝わってきます。
夫に先立たれ、子どもたちとは疎遠なまま一人暮らしをしている74歳の桃子さんという女性のモノローグ小説です。63歳の著者は新たな「老いの境地」を描き、第54回文藝賞を史上最年長で、そして第158回芥川賞を史上2番目の年長で受賞しました。
著者は、1954年岩手県遠野市生まれ。結婚して息子と娘の二児に恵まれますが、55歳の時、夫が脳梗塞で死去。突然の死に悲しみに暮れ、自宅に籠る日々を送っていたところ、息子さんのすすめで小説講座に通い、8年の時を経て本作を執筆したのでした。
本作は「老いること」と身近な人を失う「喪失感」を描いていますが、時折まじえられる東北弁の力を借りて、デリケートなテーマに対して正面から取り組んでいます。老人小説であり、グリーフケア小説だと言えますが、桃子さんの心を描写しただけで1冊の本にしてしまった著者の筆力には脱帽です。
夫を心筋梗塞で亡くしたとき、桃子さんは「体が引きちぎられるような悲しみがあるのだということを知らなかった。それでも悲しみと言い、悲しみを知っていると当たり前のように思っていたのだ」と思い、さらには、「もう今までの自分では信用できない。おらの思っても見ながった世界がある。そごさ、行ってみって。おら、いぐも。おらおらで、ひとりいぐも」と覚悟を述べます。
この小説は死者のサポートによって書かれたように思います。というのも、芥川賞の受賞会見で、新聞の記者が「小説を書き始めたきっかけが、ご主人が亡くなった直後に小説講座に通われていますけども、ご主人がご存命のときに書き物をされてると、千佐ちゃんが芥川賞かな、直木賞かなっておっしゃってたそうですね」と質問しました。それに対して、著者は「はい」と言ってから、亡き夫に対して「私、やったよっていうことですかね」とのメッセージを送りました。
このことを知って、わたしは深い感銘を受けました。もちろん、亡きご主人が生前から奥さんの才能を信じていたということもあるでしょうが、やはり見えない世界から支えてくれていたように思います。
拙著『唯葬論』(サンガ文庫)で述べたように、すぐれた小説を含むあらゆる芸術作品が生まれる背景には作者の「死者への想い」があり、作者は「死者の支え」によって作品を完成させるのではないでしょうか。その考えが間違っていないことを確認しました。