『深い河』遠藤周作著(講談社文庫)
先日わたしは、生まれて初めてインドに行きました。ガンジス川を訪れた後、「ベナレス」とも呼ばれるバラナシからブッダガヤに向かうバスの車内で読み始めました。
20年ぶりぐらいの再読でしたが、小説の舞台であるガンジス川を見た直後ということもあり、物語の世界に深く入り込みました。
著者は、1923年(大正12年)生まれの国民的人気作家でした。96年に昼食を喉に詰まらせ、肺に誤嚥し呼吸停止に陥りました。結果、肺炎による心不全で亡くなっています。享年78歳でした。
葬儀は麹町の聖イグナチオ教会で行われました。教会は人で溢れ、行列は麹町通りにまで達したといいます。生前の本人の遺志で『沈黙』と本書『深い河』の2冊が棺の中に入れられました。
本書は著者が70歳の時に発表されました。著者の生涯のテーマ「キリスト教と日本人」の最終章となった作品です。
物語は、戦後40年ほど経過した日本から始まります。インド旅行のツアーに5人の日本人が参加するのですが、彼らはそれぞれに深い業を背負っていました。すべての人間の業を包み込むという聖なる河ガンジスは、5人の魂も救ってくれたのでしょうか。
著者はこの物語で複数の人間を主人公にすることによって、生涯のテーマであった「キリスト教的唯一神論と日本的汎神論の矛盾」の融和点、和解点を探り出そうとしています。それまでの著者の小説では主に両者の矛盾の描写が主体でした。しかし、集大成としての本書ではさらに進んで「日本人のキリスト教」「世界に普遍的なキリスト教」を描いたのです。
今年2月の早朝、わたしは聖なるガンジスを訪れ、小舟に乗りました。日の出前は暗かったですが、次第に薄暗かった空が赤く染まっていく美しい光景が見られました。早朝からヒンドゥー教徒が沐浴をしている光景も見られました。ガンジス川で沐浴すると全ての罪が洗い流されるといわれています。
ガンジス川の流れるバラナシは「大いなる火葬場」とも呼ばれ、つねに沿岸で火葬が行われています。船上からその様子が見えたとき、わたしは合掌しました。
そのうちに朝日が昇って、周囲を明るくしました。船上から朝日を拝んでいる人々がいました。ガンジス川はヒンドゥー教徒にとっての「聖なる河」ですが、太陽は宗教を超えてすべての人間を等しく照らしてくれます。わたしは朝日を眺めながら、「ガンジス川のSUNRAYだ!」と感動し、思わず太陽に向かって手を合わせました。生涯忘れることのできない、わが「深い河」体験でした。