『納棺夫日記』 青木新門著(文春文庫)
第81回アカデミー賞の外国語映画賞を「おくりびと」が受賞しました。日本映画初の快挙です。わたしが経営する冠婚葬祭互助会では、前売り券を大量購入し、ほぼ全社員でこの名作を鑑賞しました。
「日本人は、いや世界中どこでも同じだが、死を忌み嫌う傾向がある。企画をいただいたときは不安だった。しかし、実際に(映画で扱っている)納棺師の仕事をみて、これはやらなければいけないと感じた」という滝田洋二郎監督の受賞コメントを聞いて、わたしは目頭が熱くなりました。
今回ご紹介する『納棺夫日記』は、「おくりびと」の原作として知られています。16年前に本木雅弘さんがこの本に出会って感動し、映画化の構想をあたためていたのです。 著者は、富山にある冠婚葬祭互助会の葬祭部門に就職し、遺体を棺に収める「納棺夫」として数多くの故人を送ってきました。ちなみに「納棺夫」とは著者の造語で、現在は「納棺師」と呼ばれています。
死をケガレとしてとらえる周囲の人々からの偏見の目に怒りと悲しみをおぼえながら、著者は淡々と「おくりびと」としての仕事を重ねていきます。そして、こう記します。 「毎日、毎日、死者ばかり見ていると、死者は静かで美しく見えてくる。それに反して、死を恐れ、恐る恐る覗き込む生者たちの醜悪さばかりが気になるようになってきた。驚き、恐れ、悲しみ、憂い、怒り、などが錯綜するどろどろとした生者の視線が、湯灌をしていると背中に感じられるのである。」
まるで宇宙空間から地球をながめた宇宙飛行士のように、著者は視点を移動して「死」を見つめているのです。「生」にだけ立脚して、いくら「死」のことを思いめぐらしても、それは生の延長思考でしかありません。また人が死の世界を語っても、それは推論か仮説でしかありません。
納棺という営みを通じたからこそ、「生」に身を置きながらも「死」を理解できたのでしょう。そしてそこからは、「詩」と「哲学」が生まれます。