ハートフル・ブックス 『サンデー新聞』連載 第188回

『力道山未亡人』細田昌志著(小学館)

 2024年は、プロレスラー・力道山の生誕100周年でした。そんなメモリアル・イヤーに刊行された本書は、第30回「小学館ノンフィクション大賞」を受賞しています。
 本書の主人公である田中敬子は国民的なスーパースターである力道山と結婚しましたが、半年後の1963年12月15日、愛する夫は赤坂のクラブ「ニューラテンクォーター」で暴力団員の男から刺された傷がもとで亡くなりました。年が明けて64年1月4日、力道山が経営していた会社の顧問弁護士が自宅に姿を見せ、敬子に「つきましては、奥様に社長をやっていただきます」と告げます。
 本書には、「敬子は驚いた。これまで、日本航空のスチュワーデスをやっていたというだけで、会社経営など、まったく経験がないのだ。そもそも、結婚半年で未亡人になるのも異例なら、亡夫の会社を継いで社長になるというのも異例中の異例である。それに、7カ月の身重である。予定日は3月中旬。どうして、それで会社経営など出来ようか。その上、5つもの会社の社長に就任するとは正気の沙汰ではない。生前の力道山の殺人的な忙しさが脳裏に蘇えった」と書かれています。
 力道山の遺産を相続するというのは、自動的に約8億円(現在の価値で約30億円)の負債を背負うということでした。未亡人である敬子には相続を放棄する手もありましたが、結局は社長を引き受けることにしたのです。
 その後、力道山が立ち上げた日本プロレスは崩壊。敬子は、ジャイアント馬場の全日本プロレスの役員になります。しかし、力道山が最も可愛がっていた弟子がアントニオ猪木だったこと、著者自身も晩年の猪木と親交が深かったことを知って、猪木ファンであるわたしは非常に感動をおぼえました。
 「あとがき」で、著者は「慌ただしく始まった取材を通して筆者が知ったのは、田中敬子自身、生まれながらにして聡明で、かなりの強運の持ち主だったことだ。ある意味においては、力道山以上かもしれない。小学校6年生のときの『健康優良児・神奈川県代表』に始まり、高校2年生のときには『横浜開国百年記念・英語論文コンクール』で特等賞。さらに、相当な倍率を勝ち抜いて日本航空の客室乗務員に採用されたことなど、いずれもその論拠と言うほかなく、加えて、大宅映子や原由子といった意外な人物との邂逅も、それらを補強する材料と言っていいかもしれない」と述べるのでした。
 毀誉褒貶はありながらも、間違いなく戦後最大の国民的英雄の1人であった力道山。本書はその妻となり、未亡人となった女性の数奇な運命を綴ったノンフィクションであり、優れた評伝であると思いました。