ハートフル・ブックス 『サンデー新聞』連載 第186回

『丹波哲郎 見事な生涯』野村進著(講談社)

 「霊界の宣伝マン」と呼ばれた俳優・丹波哲郎氏の評伝です。著者は、1956年東京生まれ。ノンフィクションライター。拓殖大学国際学部教授。在日コリアンの世界を描いた『コリアン世界の旅』で大宅壮一ノンフィクション賞と講談社ノンフィクション賞をW受賞。
 丹波哲郎氏は1922年(大正11年)、都内の資産家の家に生まれ、中央大学に進学。同世代の多くが戦地に送られ、生死の極限に立たされているとき、奇跡的に前線への出征を逃れ、内地で終戦を迎えます。
 終戦後、俳優を志した丹波氏は、舞台俳優を経て映画デビューし、さらに鬼才・深作欣二らと組んでテレビドラマに進出して大成功を収めました。高度成長期の東京をジェームス・ボンドが縦横に駆け抜ける1967年の映画「007は二度死ぬ」で日本の秘密組織トップ「タイガー・タナカ」を演じ、「日本を代表する国際俳優」になりました。
 テレビドラマ「キイハンター」、「Gメン‘75」で土曜午後9時の「顔」となり、抜群の存在感で「太陽にほえろ!」の石原裕次郎のライバルと目されました。「日本沈没」「砂の器」「八甲田山」「人間革命」など大作映画にも主役級として次々出演し、出演者リストの最後に名前が登場する「留めのスター」でした。
 その丹波氏が、なぜそれほど霊界と死後の世界に夢中になったのか。数々の名作ノンフィクションを書いた著者が、5年以上に及ぶ取材をかけてその秘密に挑んだのが本書です。
 さて、2006年(平成18年)9月30日に東京の青山葬儀所で行われた丹波氏の告別式では、俳優の西田敏行氏が弔辞の最後に「丹波さん・・・・・・、お見事な生涯でございました!」と万感の思いで叫びました。
 丹波氏と15年来の親交があったわたしも、この告別式に参列していました。わが社ではイベントで何度も講演をお願いしましたし、わたしのプランナー時代には映画「大霊界2」の企画会議にも参加させていただきました。何よりも丹波氏との御縁で忘れられないのは、1991年に上梓した拙著『ロマンティック・デス』(国書刊行会)を読まれたご本人から連絡をいただき、新宿の中華料理店で会食する機会を得たことです。そのとき、「こういう本を書くことによって人々の死の不安を取り除いてやることは素晴らしいことだ。でも、いつかは執筆だけではなく、大勢の人の前で直接話をしなくてはいけない。自分が演説の仕方を教えてあげよう」と言われたのです。その後、新都庁近くにあった丹波オフィスを十数回訪れ、わたしは発声法をはじめとしたスピーチのレッスンを、〝天下の丹波哲郎〟から無料で受けたのです。レッスン後の「霊界よもやま話」も楽しい時間でした。