『コロナの時代の僕ら』パオロ・ジョルダーノ著/飯田亮介訳(早川書房)
新型コロナウイルスの猛威が衰えません。わたしの本業は冠婚葬祭業ですが、結婚式の予定者は挙式を延期し、家族が新型コロナウイルスによる肺炎で亡くなられた方にいたっては最後のお別れもできません。まさに、グリーフケアが求められる時代です。
コロナ禍の中で、わたしは疫病に関する本を少なからず読んだのですが、その中の1冊が、ニューヨーク在住の作家が書いた本書です。腺ペスト、天然痘、結核、コレラ、ハンセン病、腸チフス、スペインかぜ、ポリオなどの人類に大きな恐怖を与えてきた病についての興味深いエピソードが紹介されています。
特にわたしは、梅毒についてのエピソードが心に残りました。19世紀のロンドンには、梅毒で鼻を失った人々の「鼻なしの会」という互助会が存在したそうです。
「鼻なしの会」を作ったのは、ミスター・クランプトンという紳士でした。多くの患者を集め、「人数が増えるにつれて、参加者の驚きは増していき、慣れない気恥ずかしさと奇妙な混乱を感じながら互いに見つめあった。まるで罪人が仲間の顔に自身の罪を見たかのように」と書かれています。
悩みを分かちあえる相手とついに出会えた彼らは、社会のほとんどの人が名前を口にすることすら恐れている病気について、他人と語ることができました。メンバーの多くが、鼻がないのをできるだけ隠すことに多くの時間を費やしていたことでしょう。
彼らはまたたく間に仲良くなり、冗談を言い始めたそうです。「おれたちが喧嘩を始めたら、どれくらいで鼻血が出るかな?」「いまいましい。この30分、どこを探しても見当たらない鼻の話をするのか」「ありがたいことに、おれたちには鼻はないが口はある。テーブルに並んだごちそうに対しては、いまのところ一番役に立つ器官だ」などと言い合い、大いに笑い合ったというのです。
わたしはグリーフケアを研究・実践しています。グリーフは死別をはじめ、名誉や仕事や財産などを失うこと、そして身体的喪失にも伴います。顔の中心である鼻をなくすというのは、どれほどその人に絶望を与えたことか。しかも、鼻を奪った梅毒が代表的な性病であることは、当人の社会的地位や個人的名誉も大いに傷つけたと思います。その絶望の深さは想像もできません。
おそらく、「鼻なしの会」のオリジナルな英語名は”NO NOSE CLUB”ではないかと思いますが、このギリギリのユーモアはグリーフケアにおいて大きな力を発揮したのではないでしょうか。かつて、巨大な悲嘆を与えられた人々を救おうとした試みがあったことに、わたしは非常に感動しました。