『自転しながら公転する』山本文緒著(新潮社)
恋愛・結婚・仕事・親子・高齢化社会問題など多くのテーマが込められた小説ですが、 エピローグには大きなサプライズが用意されていて驚きました。ものすごい筆力です。
著者は、1962年神奈川県生れ。OL生活を経て作家デビュー。1999年『恋愛中毒』で吉川英治文学新人賞、2001年『プラナリア』で直木賞を受賞しました。著書多数。
この小説は、結婚式の場面で始まり、結婚式の場面で終わります。ならばハッピーづくしの物語かというと、まったくそうではありません。主人公の都は、恋愛も仕事も親子関係もうまくいかずに悩んでばかりです。
すべて、都が思っていた通りには進まず、途方に暮れるのです。ネットなどで本書のレビューを読んでみると、「こんなに共感した小説はない」とか「自分のための小説をついに見つけた」といった内容のものが多いですが、それは、わたしも含めて、誰の人生も「思ったようにうまくいかない」からです。すべての読者は、うまくいかない都に共感するはずです。
都には2歳年下の貫一という恋人がいます。『金色夜叉』の貫一・お宮につながることから、貫一は都のことを「おみや」と呼びます。
おみやの愚痴を聞いた彼は、「そうか、自転しながら公転してるんだな」とつぶやき、「地球はな、ものすごい勢いで回転しながら太陽のまわりをまわっているわけだけど、ただ円を描いて回ってるんじゃなくて、こうスパイラル状に宇宙を駆け抜けてるんだ」と言い、「太陽だってじっとしているわけじゃなくて天の川銀河に所属する2千億個の恒星のひとつで、渦巻き状に回ってる。だからおれたちはぴったり同じ軌道には一瞬も戻れない」とも言います。
陽明学者の安岡正篤によれば、自分を知り、自力を尽くすほど難しいことはありません。自分がどういう素質能力を天から与えられているか、それを称して「命」と呼びますが、それを知るのが命を知る「知命」です。そして、知った命を完全に発揮していく、すなわち自分を尽くすのが「立命」です。『論語』の最後には、「命を知らねば君子でない」と書いてありますが、これはいかにも厳しく正しい言葉です。
また、運は「めぐる」「うごく」という文字ですが、「運命」には2つの種類があると喝破したのが、異色の哲学者である中村天風でした。
天風いわく、運命には「天命」と「宿命」の二種類があり、天命は絶対で、宿命は相対的なものであるというのです。そう、「自転公転」の「自転」とは「宿命」であり、「公転」とは「天命」のことではないでしょうか。
すべてを公転のせいにしてはなりません。
自らを尽くす自転を忘れて人生は拓けないのです。自転という努力を続けていれば、運命は公転ならぬ「好転」するように思います。