ハートフル・ブックス 『サンデー新聞』連載 第190回

『透明を満たす』渡邊渚著(講談社)

 今年最もよく売れ、最も読まれた1冊です。著者は1997年4月新潟県阿賀野市生まれで、現在27歳。元フジテレビのアナウンサーですが、一連のフジテレビ問題の文脈において、ネット等でよく取り上げられていますね。大物芸能人からの性被害の当事者とも言われていますが、そういった話題性もあって注目されているフォトエッセイです。
一読して驚いたのは、著者の文章の巧みさです。処女作ということで出版社の編集者がサポートしたのかとも思いましたが、全体を通してまったくブレがみえません。おそらくは本人がすべて書いているのでしょう。
 著者は慶應義塾大学の出身ですが、母親が教育熱心だったようで、その勧めで幼稚園児のころから、『枕草子』や『平家物語』、『徒然草』などの古典文学をはじめ、宮沢賢治の『雨ニモマケズ』や福沢諭吉の『学問のすゝめ』などの名文を暗唱していたそうです。
 本書を読んで、正直、「フォトエッセイではなく、エッセイにした方が良かったのでは?」と思いました。その方が著者の言葉の豊かさや輝きがさらに際立つからです。しかし、入院中に肌がボロボロになって絶望したということが書いてあったので、きっと「肌を綺麗にしてグラビアを撮影する」ということを励みにしていたのかもしれません。実際、著者の写真はどれも美しいですし、肌も綺麗で笑顔はチャーミングです。それにしても、これほどまでに絶望の淵にあった人が絞り出す言葉にはものすごい力が込められていると思いました。言葉の力は「呪い」にもなれば「祈り」にもなります。SNSでは心無い「呪い」が飛び交っていますが、本書に綴られた著者の言葉は「祈り」そのものだと思いました。
 本書に類書があるとしたら、ヴィクトール・フランクル著『夜と霧 ドイツ強制収容所の体験記録』(みすず書房)ではないかと思います。この著者はアウシュビッツから生還したウイーンの精神科医で、第二次大戦中に強制収容所に送られた体験をもとに、同書を著しました。ナチスによるユダヤ人強制収容所から生還したフランクルの言葉と渡邊氏の言葉がわたしの中でシンクロしました。
 世の中には性被害によって心を病み、体調を崩し、働けなくなり、人生が狂ってしまった女性(あえて女性といいます)がたくさんいます。彼女たちのためにも、そして著者自身のためにも、著者がこれから良き人生を歩んでくれることを心から願っています。
 わたしの次女は著者の大学の2年後輩なのですが、著者の父は本書を手にしたとき、涙を浮かべて「よくここまで頑張ったな」と著者に声をかけたそうです。その話を知ったとき、わたしの目にも涙が浮かびました。