『定年後に見たい映画130本』 勢古浩爾著(平凡社新書)
本書のタイトルを最初に見たとき、「やられた!」と思いました。まさに、こういうテーマの本をわたし自身が書きたいと思っていたからです。コロナ前、わが社では修活の一環で「友引映画館」としてセレモニー(コミュニティ)ホールで高齢者向け映画鑑賞会を開催していました。社長のわたし自身が、映画は高齢者に「老い」と「死」についての学びを与えてくれると思っているためです。
著者は、1947年、大分県生まれ。明治大学政治経済学部卒業。洋書輸入会社に34年間勤務の後、2006年に退職。市井の人間が生きていく中で本当に意味のある言葉、心の芯に響く言葉を思考し、表現し続けているそうです。1988年、第7回 毎日21世紀賞を受賞しています。著書多数。
昨年、著者の『それでも読書はやめられない』(NHK出版新書)という読書論を読んだのですが、これがかなりのが好著で示唆に富んだものでした。今度は映画論ということで大いに期待しました。「読書」と「映画鑑賞」は教養を育てるための両輪だからです。
「まえがき」で、著者は「近年、人々はあまり映画を見なくなったのではないか。コンピュータ・ゲームという強敵が現れたからか。いや、映画は次々と作られ、若者たちが劇場につめかけている場面がテレビに映し出されたりしている。あれは舞台挨拶の上映のときだけの光景なのか。観客は、3回泣きました、とかいっている。それでもわたしたちの世代と比べて、最近の若い人たちは映画をそれほど見なくなったような気がする。見るのは、アニメか人気のタレントが出演する映画ばかりであろう」と述べます。
1947年生まれの著者は団塊の世代の人ですが、「まずまず本を読み、そこそこ映画を見た」最後の世代であると自認しています。
そして、「わたしたちはなぜか、『灰とダイヤモンド』とか『王女メディア』『華氏451』『気狂いピエロ』など、『名画』といわれる映画を、だれに強制されたわけでもないのに、ある種の強迫観念のように、義務として見ていた。いま考えれば、けっこうめんどくさい時代だった。映画は娯楽であり、同時に、勉強(教養)でもあったのだ」と述べます。
本書を読んだ直後、今年の8月10日に発生した小倉の旦過地区の火災で、老舗映画館の「小倉昭和館」が焼失しました。わたしにとっても思い出が多く詰まった、大切な大切な映画館で、老後は昭和館でたくさん映画が観たいと思っていました。そしてこのたび、わたしは『心ゆたかな映画』(現代書林)という書籍を出版しましたが、その「あとがき」として、「ありがとう、小倉昭和館」という一文を添えました。ご一読下されば幸いです。