『思いがけず利他』中島岳志著(ミシマ社)
最近、「ケア」について考え、サービス業をケア業へと進化させる方法を模索しています。そんな中、本書を読んだのですが、「利他」が「ケア」に通じることを確認しました。
東京工業大学で「利他プロジェクト」を立ち上げた著者は、1975年大阪生まれ。大阪外国語大学卒業。京都大学大学院博士課程修了。東京工業大学リベラルアーツ研究教育院教授。専攻は南アジア地域研究、近代日本政治思想。2005年、『中村屋のボース』で大佛次郎論壇賞、アジア・太平洋賞大賞受賞。
「はじめに」の冒頭を、著者は「コロナ危機によって『利他』への関心が高まっています。マスクをすること、行動を自粛すること、ステイホームすること――。これらは自分がコロナウィルスにかからないための防御策である以上に、自分が無症状のまま感染している可能性を踏まえて、他者に感染を広めないための行為でもあります」と書きだします。
いまの自分の体力に自信があり、感染しても大丈夫と思っても、街角ですれ違う人の中には、疾患を抱えている人が大勢いるだろうとして、著者は「恐怖心を抱きながらも、電車に乗って病院に検診に通う妊婦もいる。通院が不可欠な高齢者もいます。一人暮らしの高齢者は、自分で買い物にも行かなければなりません。感染すると命にかかわる人たちとの協同で成り立っている社会の一員として、自分は利己的な振る舞いをしていていいのか」ということが各人に問われるといいます。
著者いわく、人間が自身の限界や悪に気づいたとき、「他力」がやって来ます。「他力本願」というと、「他人まかせ」という意味で使われますが、浄土教における「他力」とは、「他人の力」ではなく、「阿弥陀仏の力」です。
「他力本願」とは、すべてを仏に委ねて、ゴロゴロしていればいいということではなく、大切なのは、自力の限りを尽くすことです。
自力で頑張れるだけ頑張ってみると、わたしたちは必ず自己の能力の限界にぶつかります。そして、自己の絶対的な無力に出会うとして、著者は「重要なのはその瞬間です。有限なる人間には、どうすることもできない次元が存在する。そのことを深く認識したとき、『他力』が働くのです」と述べています。それが大切なものを入手する偶然の瞬間です。
重要なのは、わたしたちが偶然を呼び込む器になることです。偶然そのものをコントロールすることはできませんが、偶然が宿る器になることは可能です。そして、この器にやって来るものが「利他」であるというのです。
器に盛られた不定形の「利他」は、いずれ誰かの手に取られます。その受け手の潜在的な力が引き出されたとき、「利他」は姿を現し、起動し始めるのではないでしょうか。