一条真也の人生の四季 『サンデー毎日』連載 122

死生観は究極の教養である

現在の日本は、未知の超高齢社会に突入している。それは、そのまま多死社会でもある。日本の歴史の中で、今ほど「老いる覚悟」と「死ぬ覚悟」が求められる時代はない。
特に「死」は、人間にとって最大の問題だ。これまで数え切れないほど多くの宗教家や哲学者が「死」について考え、芸術家たちは死後の世界を表現してきた。医学や生理学を中心とする科学者たちも「死」の正体をつきとめようと努力してきた。
それでも、今でも人間は死に続けている。死の正体もよくわかっていない。実際に死を体験することは一度しかできないわけだから、人間にとって死が永遠の謎であることは当然だと言える。まさに死こそは、人類最大のミステリーなのである。
なぜ、自分の愛する者が突如としてこの世界から消えるのか、そしてこの自分さえ消えなければならないのか。これほど不条理で受け入れがたい話はない。しかし、その不条理に対して、わたしたちは死生観というものを持つ必要がある。高齢者の中には「死ぬのが怖い」という人がいるが、死への不安を抱えて生きることこそ一番の不幸だろう。まさに死生観は究極の教養であると考える。
死の不安を解消するには、自分自身の葬儀について具体的に思い描くのが一番いい。親戚や友人のうち誰が参列してくれるのか。そのとき参列者は自分のことをどう語るのか。理想の葬儀を思い描けば、いま生きているときにすべきことが分かる。参列してほしい人とは日頃から連絡を取り合い、付き合いのある人には感謝する習慣を付けたいものだ。
生まれれば死ぬのが人生である。死は人生の総決算だ。自身の葬儀の想像とは、死を直視して覚悟すること。覚悟してしまえば、生きている実感が湧いてきて、心も豊かになる。
葬儀は故人の「人となり」を確認すると同時に、そのことに気づく場になりえる。葬儀は旅立つ側から考えれば、最高の自己実現の場であり、最大の自己表現の場であると思う。