地震が来たら仏壇の前に行け
わたしは北陸の地でも冠婚葬祭事業を営んでいる関係で、ひんぱんに金沢を中心とする北陸を訪れる。
本願寺第八世の蓮如が加賀との境に位置する越前・吉崎に御坊を構えた中世、北陸は浄土真宗の教えに染め上げられていった。そんな信心深い土壌ゆえ、現代でも北陸の人々の心に真宗の根が張っていて、北陸は「真宗王国」と呼ばれている。
その厚い信仰心と情熱は仏壇づくりにも向かい、数々の優れた技と美を生み出した。北陸の人々は仏壇をこよなく大切にする。いまでも富山県の普通の農家などにも、ちょっと不釣り合いなほど大きな仏壇が飾られていて驚くことがある。
仏壇の産地としては石川県の金沢市、白山市美川、七尾市が有名だが、いずれも金箔の美しさが特徴である。なにしろ日本の金箔の99%が金沢産だから、見事なものだ。 中でも、七尾仏壇は頑丈なことで知られている。七尾は能登半島の中央部に位置する。2007年3月に石川県輪島沖で発生した能登半島地震でも、華麗で大きな七尾仏壇はびくともしなかったという。
それどころか、七尾では「地震が来たら仏壇の前に行け」という言葉をよく耳にするという。わたしは、それを七尾に住むわが社の社員から聞いて、とても感銘を受けた。
もちろん、七尾仏壇が頑丈であることを示すエピソードだろうが、それだけとは思えなかった。すなわち、「地震が来たら仏壇の前に行け」とは、何かの危機が発生した場合、人々の身体だけではなく精神も仏壇が守ってくれるという意味に思えたのだ。
かの前田利家も先祖を大切にし、熱心に仏壇に向かって拝んだという。金沢は戦争の傷跡がまったくない都市である。利家が金沢城に入城して以来、なんと450年近いあいだ一度も戦災に遭ったことがない、日本でもきわめて珍しい街なのだ。
徳川幕府に次ぐ百万石の巨大勢力がまったくの無傷というのは奇跡に近いが、これも信心のおかげか。