正月に日本人について考える
みなさん、この正月はどのように過ごされただろうか。わたしは元日の早朝、九州最北端の神社である門司の「皇産霊神社」で初詣をした。
明治以前の正月元旦は、家族とともに、「年神」(歳徳神)を迎えるため、家のなかに慎み籠って、これを静かに待つ日であった。この年神とは、もとは先祖の霊の融合体ともいえる「祖霊」であったとされている。
本来、正月は盆と同様に祖霊祭祀の機会であったことは、お隣の中国や韓国の正月行事を見ても理解できるだろう。つまり、正月とは死者のための祭りなのである。この説を唱えた人物こそ、日本民俗学を創設した柳田國男その人だ。
わたしの父でサンレーグループ会長の佐久間進は國學院大學で日本民俗学を学び、そのまさに中心テーマである「冠婚葬祭」を生業とした。
「國學院」の「国学」とは、「日本人とは何か」を追求した学問で、契沖、賀茂真淵、本居宣長、平田篤胤らが活躍した。わたしの実家の書庫には彼らの全集が揃っており、わたしは高校時代から国学に関心を抱いていた。そして、「日本人とは何か」という国学の問題意識を継承したのが、「新国学」としての日本民俗学である。実家の書庫には、柳田國男・折口信夫の全集をはじめとする民俗学の本もずらりと並んでいた。
「無縁社会」とか、「葬式は、要らない」などといった虚無感あふれる言葉が登場した現在、日本人の原点を見直す意味でも、日本民俗学の再評価が必要ではないだろうか。
わたしは現在、冠婚葬祭互助会の全国団体の会長を務めている。互助会の使命とは、日本人の原点を見つめ、日本人を原点に戻すこと、そして日本人を幸せにすることである。
結婚式や葬儀の二大儀礼をはじめ、宮参り、七五三、成人式、長寿祝いなどの「冠婚葬祭」、そして正月や節句や盆などの「年中行事」。これらには「日本人とは何か」の答えが詰まっている。これからも、わたしは日本人を幸せにするお手伝いがしたい。